編成や運航のおもしろさ
電気機関車の牽く貨物列車(小坂鉄道)
第11回軽便鉄道模型祭(2015年)のポスターは、小坂鉄道の電気機関車と蒸気機関車でした。
軌間762mm時代の小坂鉄道は、途中から終点の鉱山までの間が電化されており、奥羽本線との接続駅である大館から蒸気機関車やディーゼル機関車が牽いていった
列車を電気機関車にバトンタッチするという、珍しい運行形態をとっていました。しかし、1962年秋に1067mmに改軌されたため、ナロー時代の記録、特に走行写真は発表された例も多くはありません。
車輌のサイズは軽便鉄道にしては大きい方で、多数の貨車を連ねた混合列車が走っており、若い世代のモデラーに
その堂々とした姿を見せたいというのがデザイナーKさんの狙いです。
撮影者の主な目的は、その時代既に希少だったナローの蒸機牽引列車を撮ることにありました。蒸機のポスター(右)は、当時の電化区間の始まりである 小雪沢付近で給水をしているところです。その他の記録は、『鉄道讃歌』(交友社1971年、復刊ドットコム2016年)、『軽便讃歌V』(南軽出版局)の「小坂鉄道アルバム1960~62年」、同じく『軽便讃歌V』付録 「軽便鉄道16社巡り 1960年」(動画DVD)などで公表されています。
電気機関車の写真は、小坂鉱山の手前にあるトンネルの入り口(大館側)で撮影されたもの。
このトンネルの所が全線のサミットとなっており、25‰近い急勾配区間がありました。そのため1928(昭和3)年に
茂内~小坂間のみ直流600Vで電化されていたのです。
トンネルポータルに上ってみると、東北らしい澄んだ空気に強い夕陽がさしていました。望遠で撮ったら向うのカーブから出てくる写真が面白いかな
と思っているうちに、音もなく突然やってきたのが電機の牽く貨物列車。このトンネルを抜けると
線路は大きく右にカーブを描き、雄大な景色の中を小坂銅山の採掘場へと降りて行くのです。
貨物列車のダイヤが分からなかったため思うようなタイミングでシャッターを切れず、逆光の中、機関車が日陰に入ったこの写真はコントラストが強くて
使い物にならないと考えたので、プリントもせず存在も忘れられたまま50年以上眠っていました。
その写真に注目したデザイナーKさんは、印画紙では焼けそうもない強いコントラストの画像を、背景が飛ばない程度のちょうど良い諧調にし、エッジを立てたり
ちょっと邪魔なものを消したり、デジタルデータ時代ならではの処理をしてポスターに仕立てたのでした。
軽便鉄道の電気機関車は、三重交通や栃尾線、草軽などで活躍したものが比較的知られていますが、ここ小坂の2輌は昭和初期に日立で作られた
かなりの貴重品で、形態的にもなかなか整っていたように思います。
台車など、この機関車の形態については
以前に紹介した記事を、タンク車を牽いて走る姿はここを、
ご覧ください。
改軌後の小坂鉄道は全線がディーゼル化され、この時代のような蒸気・内燃・電気3つの動力車がみられる
おもしろさは無くなってしまいました。それでも2009年まで半世紀近く鉱山鉄道として営業を続け、末期には再び鉄道ファンの注目を集めたようです。