車両のおもしろさ
小坂のかわいいボギータンク車
ナローの鉄道でタンク車を持っていた所としては、木曽森林鉄道や糸魚川の東洋活性白土専用線が有名だと思いますが、他には神岡軌道、日鉱佐賀関くらいしか例が見当たりません。木曽森のタンク車は機関車の燃料輸送用、東洋活性白土と神岡軌道は硫酸輸送用で、小坂鉄道のタンク車もドーム周辺の形状からは硫酸を運んでいたと思われます。
小坂には二軸のタンク車もありましたが、このタボは真横から見た上の写真で分かるようにボギートラックを持つ割に台車の間隔が狭く、タンクの長さが短い「寸詰まり感」に軽便らしさが感じられます。神岡軌道のタンク車もボギー車でしたが、鋼製運材台車のようなものにタンクが乗っている構造で、デザイン的にはタンクの径が少々大きすぎるアンバランスなところに難があるような気がします。それに比べると、こちらは立派な台車と台枠の上にタンクが乗っていて、骨格はタンク車として一人前のものを備えているにもかかわらず「かわいい」印象がある。そこが、この車両のチャームポイントではないでしょうか。
7両あったタボのうち6両は元々小坂の車両ではなく、1950年にナロー時代の栗原鉄道が電化された時に納品されたものだそうです。メーカーの中日本重工は三菱重工がGHQの命令で三分割されてできたもので、後に新三菱重工となり更に合併により再び三菱重工となった会社。終点の細倉から奥にあった鉱山を経営していたのが三菱だったので、その関係で発注したのだと思われます。
細倉鉱山は、最盛期には神岡鉱山に次ぐ規模を持ち、亜鉛や鉛などを産出していました。小さなタンク車は、鉱石を精錬する際に採れる硫酸を積んで、栗駒山の麓を凸型電機に牽かれて盛んに走っていたのでしょう。
1955年に栗原電鉄が3フィート6インチに改軌された後に小坂にやってきたタボは、協三工業で製造された1両を加え、今度は秋田の山あいで凸型の電気機関車に牽かれ、混合列車に組み込まれて1962年まで働き続けました。