ペルス鉄道をめぐるエピソード その7

 1971年の最初の訪問時、けむりプロのU2氏がペルス鉄道と出会ったとき、靴で線路の巾を確認しようとして2フィートだと判断した話は「ペルス鉄道1971」の発見記に書かれています。そもそもフィート(feet)という長さの単位は、人間の足の長さを元にしていると言われており、靴で測定するのは理にかなったやりかたなのですが、1cmの差を確認するのは至難の技です。翌年に訪れたS2氏もゲージを測定しておらず、C.S.Small氏の最初のレポートでも「2フィート」とされていたため、『SL』誌7号の記事では“ROLLING ON A 2-FOOT TRACK”というサブタイトルがつけられていました。そのため、日本ではながらく2フィート(610mm)と思われていたのですが、この鉄道の軌間は正確には600mmだったのです。
 Small氏が後に発表した『Brazilian Steam Album』の表紙では、再度の訪問時に600mmであることが分かったためか、『TWO FOOTERS』というメインタイトルの前に「plus minus」という文字が小さく添えられています。600mmの車輌を表す手ごろな表現がないので、彼も“Two Footer”という表現を使いたかったのでしょうね。

機関車の顔について考えてみる

 「ペルス鉄道1971」にはボールドウィン、アルコ、ポーターのイラストが掲載されていますが、そのうち16号とポーター7号の正面の図だけを取り出して並べてみましょう。
 同じ2フィートのアウトサイドフレーム機で、動輪径、ボア・ストロークも同一なのですが、ずいぶんと印象が違います。その理由を考えてみることは、模型のデザインを決める際にも役立つのではないでしょうか。(下に若干の考察あり)

ペルスの機関車 その7

 我国でポーターといえば、まず知られているのは幌内鉄道で使われた7100(「義経」「弁慶」など)でしょうが、同社が製造した約8000輌の機関車のうち、大型機は少なく、鉱山用や農場用、森林鉄道用などの特殊な小型機関車が中心でした。資料紹介のページでとりあげた20世紀初頭の販売用カタログを見ると、テンダー機でも0-4-0や0-6-0など小型のものが多く、タンク機のバリエーションが目立ちます。
 ポーター社が2-6-2や2-8-2のテンダー機を製造し始めたのは、森林鉄道用に強力な蒸気機関車の需要が高まった1920年代のことだそうで、初期の製品である「義経」や「弁慶」はペルスのポーターと見た目のサイズはほぼ同じであるものの、ボイラーもシリンダーも軌間600mmの6・7号より小さいのです。1945年にペルス鉄道向けに製造された2輌は、このメーカーの蒸機としては末期のもので、技術的にも安定してきているのでしょう。軌間1067mmの7100と同じくらいの容積に、それより一回り強力な機構を収めていることになります。

 CBCPP7号機 この角度からだとドームとベルの並びが美しい。キャブとテンダーの下の線が揃っているのもポイント。ガト・プレート機関庫 1975年

 ペルスでの写真を見ると、他の機関車よりも大きいようにも感じますが、実は動輪径、ボア・ストロークはボールドウィン(BLW)の10・14・16・17号と同じです。テンダー台車は少し大きいのですが、これはむしろBLWのテンダーが小さいと言うべきで、横から見たバランスも整っています。
 同サイズのBLWほど「きゃしゃ」な感じがなく「たくましい」印象を与えているのは、シリンダーブロックとそこに繋がる主蒸気管が目立つこと、ボイラー中心が少し高いこと、そしてキャプのせいだと思います。とりわけ、右上のイラストでわかるようにキャブ巾が広いことが、この機関車のイメージを決めているような気がします。逆に言えば、模型化する際にボイラー高を少し下げ、キャブの巾をシリンダーブロックと同じか、それより僅かに狭くすると、16号のプロポーションに近づき、前から見た印象が抜群に良くなるのではないでしょうか。

入口へ戻る   前の ページへ  次のページへ  注目のサイト・動画・資料コーナーへ