ペルス鉄道について
100年前、ブラジルで1つの鉄道が開業しました。延長20数キロという規模ながら20数両の蒸気機関車を有し、1980年代まで長大な列車を走らせていたペルス鉄道(EFPP)です。南軽出版局は、開業100年にあたる2014年夏、2フィート蒸気鉄道シリーズ第3弾「ペルス鉄道1971」を制作しました。
ペルス鉄道をめぐるエピソード その6
2001年、けむりプロのS1氏が仕事でブラジル滞在中に、ペルス鉄道の跡地と残されている機関車を確認しようと現地を訪れました。その際に出会ったのが、ブラジルでこれらの車輌や施設を歴史遺産として保存しようと活動している人たちです。そして、その訪問時に分かったのは、日本で印刷された『SL No.7』がブラジルで貴重な資料として回覧されていた事実でした。一部の写真や地図はコピーされて広まったようで、WEB検索をするとブラジルのサイトで『SL No.7』から引用されたものがいろいろ見つかります。
そのときに出会った1人、ブラジル鉄道保存協会(ABPF)のニルソン・ロドリゲス氏は、EFPPの沿線で少年時代を過ごし、列車に乗ってペルスの街に通ったという経歴の持ち主。当時1日2往復あった混合列車は、いつも1号機(下の写真)が牽いていたそうです。この鉄道の記録を収集しているロドリゲス氏は、今回の出版の趣旨に賛同され、ご自身の集めた貴重なコレクションを提供してくださいました。発売中の『ペルス鉄道1971』は、世界で唯一EFPPの詳細を伝える写真集であるのみならず、日本とブラジルの鉄道ファンの協力によって作成されたという点でも、これまでにない試みと言えるでしょう。
機関車を直す男たち
すでに「エピソード」でたびたび触れているように、EFPPでは時間をかけて大きく改造したり、部品を使いまわしたりして、古い機関車を使い続けていました。その仕事をしていたのが、この写真の男達です。1号(ダックス)の前に立つ恰幅の良い人がガト・プレート修理工場の職長だったマノエル・シルバ、 その右がガト・プレートの事務所に勤めていた山内トヨム氏です。
ペルスの機関車 その6
おそらく日本で一番知られているEFPPの機関車。2代目の1号機、ボールドウィンの0-6-2サドルタンクです。1973年に珊瑚模型店から発売された「ダックス」サドルのプロトタイプといえば
年配のモデラーにはすぐお分かりいただけると思います。
1896年に製造されたこの機関車は、1925年にEFPPにやってきて、初代のBLWテンホイラーの番号をもらい、初代4号機(BLWの2-4-0)の「Dr.Sylvio de Campos」という名前とプレートを受け継ぎました。
それ以来、本線の混合列車牽引用として、ペルス~エントロンカメント~カジャマール~ガト・プレートの間を1970年代初めまで走り続けたようです。昔のカジャマールには三角線がなかったので機関車の転向ができず、
この機関車には従輪があるのでバック運転に適していると考えられたのかもしれません。
けむりプロのU2氏が訪れたとき、この機関車はガト・プレートで修理中。翌年S2氏が訪れたときはガト・プレートで火を入れ調整中でした。EFPPは1972年頃に客扱いをやめ、
その後すぐ休車となったようです。
そうした事情で、ペルスを訪れた欧米の鉄道ファンの記録にも1号機はほとんど登場しません。南軽出版局の『ペルス鉄道1971』では「ダックス」の原型となったこの機関車の形態が分かる写真やイラストの他、混合列車の先頭に立つ姿も見ることができ、さらに昔の時代に初代4号機が混合列車を牽く写真も収録されています。