ペルス鉄道について
100年前、ブラジルで1つの鉄道が開業しました。延長20数キロという規模ながら20数両の蒸気機関車を有し、1980年代まで長大な列車を走らせていたペルス鉄道(EFPP)です。南軽出版局は、開業100年にあたる2014年夏、2フィート蒸気鉄道シリーズ第3弾「ペルス鉄道1971」を制作しました。
ペルスの機関車 その他
ペルス鉄道を訪れた鉄道ファンにとって、もっとも謎に満ちていたのはカジャマールの機関庫脇に置いてあった機関車群でしょう。これからしばらく、これらの機関車についてとりあげようと思います。
上の画像は、1971年にカジャマールのヤード北側(採石場側)から撮られた写真を拡大したもので、機関車8輌、客車1輌、貨車3両が並んでいます。アルコ5号や18号のように後に復活を遂げた例もあるので、この場所は一時保管用のスペースだったようです。
小さなドコーヴィルが18号と15号に挟まれているところなど、写真ではわかりにくいので、どのように並んでいるかを他の写真から解明した様子を図に示します。上写真は、この図の左下方向から撮影されています。
クラウス 6号機
1908年独クラウス製のCタンクで最初の購入者はサントス市。1934年入線だそうです。ペルスに在籍した機関車のうちで最も小型で、『SL No7』では「みそしる軽便にもってこいの感じ」と書かれています。スリムなサイドタンクが前に伸びているところに、クラウスらしい格好よさがありますね。キャブ背面上部に見えるのは燃料の薪を入れるバスケットです。
EFPPは本線の混合列車牽引には2代目1号(ダックス)や3・4号(BLWの2-4-0テンダー)を使っていたようで、この機関車が列車を牽いている写真は見つかっていません。おそらく、1930年に購入した Hohenzollern製の5号機(写真で背後に見えている)とともに、入換えや区間運転用だったと思われます。
ペルス鉄道をめぐるエピソード その7
この鉄道は延長20kmという規模にもかかわらず、4つの機関庫を持っていました。日本の専用鉄道では考えられない密度です。ペルスのセメント工場内、カジャマールのヤード脇、カジャマールの三角線奥、ガト・プレート(写真上)の4つで、そのうちセメント工場内は立ち入り禁止になっていたため、ほとんど様子が分かりません。
1970年代初めには、カジャマールの三角線の先にあった庫(『SL』誌7号の記事では「奥カジャマー」とされている)と、ガト・プレートの両方で機関車の修理を行なっていたようですが、なぜ2箇所に分散していたのかも不明です。輸送がEFPP(鉄道会社)だけでなく、CBCPP(セメント会社)の手によっても行なわれていたことと関係があるかもしれませんが、この庫の多さが、時間をかけて古い機関車を修理するペルスのやり方を可能にさせたと言えるでしょう。