ペルス鉄道をめぐるエピソード その1

 EFPPは、サンパウロ北西ガト・プレート周辺の鉱山主などが起業し建設許可を得たもので、1914年夏の開業を目指して建設が進められました。開業予定日は8月5日とされていたそうです。ところが、6月末にボスニアでオーストリアの皇太子が殺害されると、欧州諸国は1月余りの間に次々と戦争に突入。8月4日には英国がドイツに対する戦線を布告します。サンパウロの新聞を飾るはずだったEFPP開業の記事は、予期せぬ世界大戦の開始によって、紙面の片隅に追いやられてしまったのだそうです。
 当時のブラジルはコーヒーやゴムなどを輸出しており、商品を輸送する船がドイツの潜水艦に沈められるようになったことから、1917年に連合国側に立って参戦しました。ブラジルにとって、戦争は貿易の縮小というマイナスをもたらしましたが、戦争の長期化に伴って欧米の工業製品の流入が減ったため、予期せぬ工業化が進んだ時期でもありました。石灰生産と輸送という事業は、ブラジル第一の都市サンパウロの好景気に支えられ、やがて1920年代の大発展を迎えることになります。

ペルス鉄道を紹介した本

 欧米の鉄道ファンで全盛期のペルス鉄道を訪問した方は数名居るようですが、チャールズ・S・スモール氏もその1人。けむりプロの訪問の少し後に現地を訪れ、その他のナロー鉄道とあわせて"Brazilian Steam Album plus minus Two Footers"という記録を、カールハインツ・ハーマン氏との共著として1980年代半ばに出版されています。
 ハーマン氏他の貴重なコレクションも収めら、ブラジルのナロー全般に関して知るためには必須の資料でしょうが、残念ながら言葉の壁や短い滞在期間のせいか、EFPPについては図や駅名、写真の説明などに若干の誤りがあり、文章は「SL No7」のものと重複することが多いので、現時点ではEFPP単独の資料としてはそれほど重要ではありません。

ペルスの機関車 その1

 1971・72年の訪問の際にカジャマールのヤード、機関庫の脇に置いてあった小型の機関車群の中にあったのが、この8号機です。明らかにドコービルのデザインのキャブを持ち、もう1両のドコービルタイプとともに、他の機関車に比べて格段に小さい存在でした。この機関車は今世紀に入って本格化したEFPPの保存活動の中で最初に動態復活されたものです。
 アメリカ製の大きな機関車が多いEFPPで、これが何に使われていたのかということは長い間の謎でしたが、今回の出版準備のため現地ブラジルと頻繁に情報のやりとりをする過程で、どこで何のために使われていたのかが判明しました。右下の写真が、その手がかりとなる1枚。これまでの出版物では紹介されていない、この大鉄橋の路線については、南軽出版から刊行されている「ペルス鉄道1971」をお読みください。この他にもドコービル現役時の驚くべき写真を収録しています。

 左:ドコービル製の8号機 1972年  右上:復活した8号 2011年 撮影=ジュリオ・モラエス 右下:大鉄橋を行く 所蔵=ニルソン・ロドリゲス

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