線路の楽しさ

      

阿里山森林鉄道 タタカ線終点(その1)

阿里山から約20㎞、タタカ線の終点にあった集材地は、素晴らしい景観に恵まれた地点でした。 その様子を知るには、『阿里山森林鉄道1966-1968』の付録パノラマ写真をみていただくのが いちばんだと思います。下の写真がそれで、横1m以上のサイズのものが6つに折りたたまれているもの。 裏側は、戦前の5万分の1地図にある阿里山鉄道(嘉義~阿里山)と塔山線に、タタカ線を 描き加えた全線図。他では手に入らない貴重品です。
 これは、けむりプロの杉行夫が35mmフィルム数十枚に収めた周囲の様子を合成して1枚にしたもので、たいへん すばらしい記録なのですが、公開されたのは本書が初めて。この地点の写真は『鉄道讃歌』でも、別角度の3カットしか掲載されていません。当時のプリント・製版技術では この全体を自然なパノラマ写真に合成して見せることができなかったのです。

タタカ線の終点にあった3つの集材側線を見渡す。中央に見えるのは阿里山から北に延びる大塔山の稜線。1968年 撮影=杉行夫

実は、『阿里山森林鉄道1966-1968』の編集作業が始まる2017年の初めまで、南軽出版局のメンバーも、これらの写真を 繋げて見たことはありませんでした。撮影者の杉行夫が、数十枚のコピーを並べて床に広げたのを見て、「こんな記録があったのか」と 驚いたのが実情です。しかも、記録はほぼ360°あるのです。この付録パノラマは、後ろ側の山の様子を除いた、撮影者が眼前に見ていた光景を 再現したものとなっています。
 詳細に写真を眺めると、この終点には3本の集材柱と、3か所の側線があることが分かります。右上の写真は、 『鉄道讃歌』のほか本書の付録にも載っていますが、いちばん奥の集材側線のあるところで、上のパノラマ写真では右の方に小さく見えています。
 シェイが写っていなくても、十分に魅力的なシーンだと思いますが、ここに列車が入っている姿は右をご覧ください。新高口から推進してきた フラットカーと無蓋貨車を手前の側線に入れ、前日に積み込まれた丸太を引き出そうとしているところです。 『阿里山森林鉄道1966-1968』1ページ(扉写真)、57ページの2点と、59ページ上・中の2点も、これと同じ最も奥の側線で撮影されたものです。

左)タタカ線最奥の集材地。2本の側線と集材機小屋があった 1968年 撮影=杉行夫

この地点は、現在ではクルマで18号線を走って容易に行くことができますが、伐採が盛んだった当時の様子を伝えるものは残っておらず、 タタカ線の記録自体が台湾にもほとんど存在していないようです。海抜2500mを越える奥地での作業風景を生き生きと伝える『阿里山森林鉄道1966-1968』。 未読の方はぜひ、この機会にお求めください。

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