編成や運行の面白さ

      

阿里山森林鉄道タタカ線の列車

今回もタタカ線をとりあげますが、橋ではなく列車について。1967年から何度か林場線の撮影のため阿里山を訪れた けむりプロの杉行夫は、おそらく当時のタタカ線に最も足繁く通った日本人だと思われます。 タタカ線には阿里山から新高口まで定期列車が設定されていたのですが、実際には奥地の伐採の状況に応じて、 列車の運行は変則的なものでした。
 客車を牽いているとき、ログカーだけのとき、列車が走らないときもあれば、運材が2往復したときもあったようです。 したがって、撮影に入るにも、いろいろ苦労が必要でした。

骨組みむき出しのスケルトン・ログカーを連ねた列車に乗ってタタカ線の終点を目指す。3点とも1968年 撮影=杉行夫

最初に最高橋梁を目指した杉行夫が、自忠でタタカ線の列車から降ろされてしまい、阿里山まで歩いて戻った話は『阿里山森林鉄道1966-1968』に 紹介されています。また、フラットカーに乗っていたと思われる写真もあります。
 同書には掲載していませんが、下のように明らかに機関車に乗せてもらっている様子や、客車に乗っているときに撮ったものも見つかります。 下右の写真は、前後に新高口での列車交換、最高橋梁を通過中に下を見下ろしたカットがあるので、新高口で機関車を最後尾に付け替え 列車を推進しているときに、客車内で後ろを向いて撮ったものと思われます。

左)タタカ線を走る18tシェイのキャブ内  右)客車の窓越しに後ろに見えているのは列車全体を推進しているシェイ

何回タタカ線の奥地を目指したのか、撮影者の杉も覚えていないようですが、阿里山から15㎞歩いて入ったと思われる写真もあり、 本人が「最も力を入れて撮った」というだけのことはあります。その素晴らしい成果を厳選して紹介している『阿里山森林鉄道1966-1968』。 未読の方はぜひ、この機会にお求めください。

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