線路の楽しさ
併用軌道の駅と細い電車
第6回軽便鉄道模型祭まで数カ月のある日、デザイン担当のKさんは何かアイデアの元はないかと、古本の『鉄道ファン』誌を眺めていました。
パラパラめくっているうちに目に留まったのは有名な花巻の「馬づら電車」のカット2点。「温泉町へ行く軽便電車」というタイトルの
4ページの記事でした。
それまで単行やサハを牽引する写真は見たことがあったのですが、貨車をお供にしている姿は初めて。もう1枚は併用軌道の駅らしい建物に寄りかかり電車を待っている少女の姿が実に魅力的。
「これはおもしろい」「こういう写真でポスターを作ってみたい」という気持ちがわいてきました。
現役時代に実際に触れることは出来なかった世代ですが、電車好きなKさんは小学生の頃に初めて遠出した東北旅行の際に廃線跡を探索したことがあり、
保存されているこの電車に予期せず行き当たった経験もあります。とはいうものの、縦横比が非現実的すぎるこんな電車がほんとうに使われていたという実感が持てないままでした。
見つけた記事には幅の細い電車の写真は2枚だけしかなかったのですが、この2カットを見たことで、今までモノクロームのおとぎ話みたいに感じていた世界が、活きた現実の鉄道なのだと
急に色が付いたように思えてきました。
ふと著者名を見ると、3年ほど前の木曽王滝村で「林鉄フェスティバル」の際に同宿したことがある「けむりプロ」のメンバーと同姓同名。
「けむりプロ」といえば古典機関車の魅力について熱い思いを語っている印象があって、本当に同一人物?と疑問に思いつつも、
「ぜひこれを使いたい」と考えたKさんは、使用許可を得るため軽便祭の実行委員をしているSさんに仲介を頼むことにしました。
そして出来上がったのが右上の2枚。数年後に「けむりプロ」の撮った基隆炭鉱の写真集の表紙をデザインし、南軽出版の活動に深く関わっていくことになるとは、その時点では
想像もつかなかったそうです。
撮影者が最初に花巻を訪れたのは1957年の修学旅行の折。この写真は2度目の訪問時で、終点に近い鉛温泉の駅で待っていると、
細長い電車が細い有蓋貨車を1輌牽いて現れました。「馬づら」電車という呼び名で有名になっていた軌道線のデハですが、
撮影者はこのネーミングにはちょっと不満があるようで、先の「鉄道ファン」の記事では「外国マンガに出てくる犬が
なんだかすごく困った顔をしているよう」だと形容されています。貨車を牽いている姿は
その時代でも結構めずらしく、ラッキーな出会いでした。
なお、この鉛温泉駅は狭い道路わきの商店が駅舎になっていたのですが、その後、道路の拡幅に伴って付け替えが行われ、新しい道路は
少し高い位置に開かれたため、線路も新道に敷きなおされ駅も移転しています。
もう1枚のポスターになった原画(下)は、花巻の市街地に近い熊野の停車場。このあたりでは終点近くに比べて道幅も広く、
細い電車でなくても自動車とすれ違うことはできます。しかし、ここでも砂利道の上に側線があるだけでホームは無く、右のキッコーマンの
看板が下がっている商店が駅の待合室になっているようです。
この軌道線は、ほぼ全線が道路上に敷かれた併用軌道でしたが、その道路は舗装されておらず、電車やクルマが通るときは砂埃をまきあげ、
雨や雪解けの時期は泥だらけ。民家の軒下を通る狭い軌道、バラストや道床のない土に埋もれた線路、路端で遊ぶ子どもの横を通る電車、
すれ違うバスが路肩から落ちそうになるところなど、生活感の漂うシーンがあちこちに見られました。
電車の走る軽便鉄道は、他にもいくつかありましたが、そんな光景が見られるのは花巻だけ。軌道線が廃止される1969年まで
道路の舗装がほとんど進んでいなかったのは、バスやトラック以外の自家用車がまだ少なく、沿線住民の多くは自転車やバイクに乗って
この道路を走っていたせいだと思われます。