車輌のおもしろさ
瑞三の機関車の笊ヒサシ
南軽出版局では昨年、品切れとなっていた『基隆炭鉱鉄道1966』を増補改訂版『基隆&瑞三炭鉱鉄道』として発行しました。 増ページ部分では宜蘭線の侯硐(コウドウ・1964年以前は「猴硐」と表記)駅に接していた瑞三礦業を詳しく紹介していますが、そこで動いていた 508mmゲージの蒸気機関車は たいへんユニークな形態をしています。そして特徴ある弁装置、キャブやサイドタンクの形状もさることながら、キャブ前部の窓ヒサシに ザルが取り付けられていたことが、いっそう独特の趣きを醸し出していました。しかも、『基隆&瑞三炭鉱鉄道』掲載の写真を ていねいにご覧になった方は、ザルが左右両側に付いている写真と、片側だけに付いている写真があることに、お気づきになったかもしれません。
実は、1966年春の最初の訪問時には、この機関車のキャブは右写真のようでした。2つの窓のうち左は、鉄板を切り抜いて穴をあけたものが
針金でぶら下げられ、右の窓だけに笊ヒサシが付いていたのです。
右下の写真が、翌年初めに撮影されたもの。このときには左の窓ヒサシも笊になっていますが、左右のヒサシの角度が違っています。
キャブの窓を目に見立てると、<右まぶたザル左目だけ眼鏡>みたいな顔つきが、<両まぶたザルでウィンクしている>かのように変わっているのです。
どちらがマトモなのかは、見解の別れるところだと思いますが。
雨の多い台湾のことですから、ヒサシには走行中に雨がキャブに入るのを防ぐという理由が考えられますし、あるいは煙突から出る煤が飛び込んでこないようにするためかもしれません。
亜熱帯のまぶしい陽光を遮るサンバイザーの役目を果たしていた可能性もあります。しかし、以前は両目とも穴あき鉄板だったのか? ザルの方が鉄板より都合良い理由は何?
ザルの取り付け角はどのくらいがベストなの? タイムマシンがあったら50年前の侯硐に跳んで、ぜひ尋ねてみたいですね。
さて、この問題を少し真面目に考えてみようと思います。コッペルやクラウス製蒸気機関車のキャブ窓には、回転式のガラスが入っていました。
雨宮製と思われるこの機関車も、竣工時のキャブ前面窓にはガラスが入っていたはずです。左端の写真は、昭和3年に製造され森林鉄道で使われた雨宮製機関車の窓。現在
丸瀬布で動態保存されている21号機ですが、蝶番でガラス窓が開くようになっています。
このガラスが割れてしまったためか、窓の開口部を小さくするためのアダプターというか蓋のようなものが使われたことが、古い写真で確認できる例があります。
根室拓殖鉄道のクラウスや、流山軽便のコッペル、東京大学の北海道演習林で使われた機関車などが、そうやってガラス部分の面積を小さくしていたようです。
また、ガラスは入っていないものの、五堵の基隆煤鉱の3.5トン機で開口部を小さくする鉄板を付けている例があり(左写真)、同じ基隆6トン機のキャブ背面は
小さい穴の開いたスライド式の板が入れられています(左下写真)。
おそらく、ガラスが割れ同じ大きさのものが高価で手に入りにくかったというのが、こうした対処の背景にあるのではないでしょうか。
それにしても、基隆煤鉱より大手で施設も整っていた瑞三で、ろくに加工していない鉄板をぶらさげていたのはどうしてか? そしてなぜザルなのか?
という疑問は残るのですが…。