編成や運行のおもしろさ

      

混合列車と客車列車の交換(会津樋ノ口駅)

ポスター(2018年)

軽便鉄道模型祭第15回目のもう1枚のポスター(左)は、同じ沼尻鉄道の写真ですが、前回のガソ101写真の4年半後、1966年秋に撮影されたものです。 沼尻鉄道にはディーゼル機関車の牽く混合列車が走っていましたが、デザイナーのKさんは、この編成が二軸貨車5輌とボギー客車2輌をつらねた 最長に近い編成だというところに注目しました。 なぜ「最長に近い」と言えるかというと、この場所は当時列車交換をしていた唯一の駅で、この列車が停まっている側線を ほぼ一杯に使っていることが、写真から分かるのですね。
 元の画像は下のように上りと下りの列車が駅で交換しているところをとらえています。 エンジンの点検をしているらしき運転手さんの手前に、高さ1mくらいの白い棒が立っているのが見えますが、これは「接触限界標識」といって この位置より先に列車を止めると、すれ違う反対方向の列車と接触する危険があることを知らせるためのものなのです。

列車の交換
沼尻鉄道 会津樋ノ口にて 右の列車が沼尻行き、左が川桁行き 1966年9月 撮影=夢遊仙人

 左の列車は客車2輌だけなので全長が短く、停止した位置から後ろがかなり空いていますが、右の列車は前後ともに ほとんど余裕がありません。機関車が約5m、二軸貨車は長さが3.8mなので5輌で19m。それに8mくらいのボギー客車2輌をつなぐと、全長は40mほどになります。 ボギー客車だけの場合は4輌編成が限度でした。

スタフ
閉塞にはスタフを使っていた 会津樋ノ口
 1966年9月 撮影=夢遊仙人

 この鉄道は、もともと沼尻山からの硫黄の輸送を目的として建設されたもので、1968年の廃止直前まで硫黄輸送を続けていました。終点の沼尻まで 索道で運ばれてきた硫黄は、小さな二軸貨車に積まれて磐越西線との接続駅・川桁まで運ばれます。積荷を降ろして山に戻る貨車には、鉱員や周辺住民のための生活物資や、 硫黄の精製に使う石炭などが積まれていました。
 全線15.6kmの途中には、交換設備を持つ駅が3つ(会津下館、会津樋ノ口、木地小屋)あったのですが、1960年代には輸送量が減ったためか 2駅での交換を廃止し、中間地点の会津樋ノ口駅のみで上下列車の交換をするようになっていました。
 閉塞には棒状の通行手形(スタフ)を使っていました。右の写真で、駅長が運転手に渡してい居るのがスタフです。 運転手はここから先のスタフを受け取ると、ここまでの区間のスタフを駅長に手渡し、駅長は構内の反対側まで40mほど歩いて持って行き、対向列車の運転手に それを渡します。

 貨車と客車をともに牽く混合列車は、他でも見ることができましたが、小坂鉄道のような大きな鉱山では貨車が多数連結されて いるのが普通でしたし、頸城鉄道ではコメ輸送のため有蓋貨車をつらねた長い編成になっていました。 ここ沼尻鉄道では、草軽電鉄と同じく、硫黄の輸送に無蓋貨車を使っており、しかも駅の交換設備のせいで列車が長くできなかったので、 背の低い貨車と客車が連結された でこぼこの短いシルエット が特徴的でした。これが、他で見られない格別の魅力を放っていたと言えるでしょう。

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