編成や運行のおもしろさ

      

尾小屋の除雪列車

尾小屋鉄道金平 1971年 撮影=かねた一郎

『軽便鉄道雪景色』には、尾小屋鉄道のロータリー車の活躍する姿が掲載されていますが、この車両は自分たちで設計製造したためか、少々扱いが難しかったようで、僅かな積雪の時は 機関車にスノープラウを付けて対処していました。右写真のように線路が雪に数cm覆われている程度だと、ロータリー車は出動しないことが多かったのです。
 早朝、前部にプラウを付けたディーゼル機関車はかなりのスピードで、右下の写真のように勢いよく雪を跳ね飛ばしていきました。実は、前日にはロータリーで除雪が行われており、 この日の運行は除雪されている区間だけ、雪は前日の夕方から積もった分だけだったので、このように快走できたのでしょう。
 右下の写真は、以前に取り上げた除雪列車の写真と同じときに違う位置から撮影されたものですが、ちょっと角度が違うだけで光線状態がかなり異なるように 見えています。

一番列車の数分前に「露払い」が行く 西吉竹~新小松 1971年 撮影=雲邊幹人

これは始発列車の直前に線路をあける姿ですが、早朝2時ごろには新小松の機関庫には2両のディーゼル機関車がいなかったので、夜のうちに機関車2両を金平まで上げておき、 続行で下ってきたのではないかと思います。その直後にやってきた列車は『軽便鉄道雪景色』の目次ページに写っているもの。 同書で紹介している沼尻鉄道の例と似た、変則的な運行をしていたようです。私たちは、ごく一部を見たにすぎませんが、積雪地の軽便鉄道では様々に臨機応変な対処がされていたのだと思います。

積雪が少ないときは、このようにいろいろ対応が出来たものの、雪が数十cmになると機関車に付けたプラウでは一歩も進めなくなってしまいます。 『軽便鉄道雪景色』53ページ下の写真が、そんな状況をとらえたものですが、こうなると機関車は人海戦術で脱出。ロータリー車を出さざるを得ません。 その記録もいろいろ残されていますので次回に紹介しましょう。

金平を出たところで除雪が終わっている 1977年 撮影=吉田文哉

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