ペルス鉄道をめぐるエピソード その5

 1971年にけむりプロのU2氏がガト・プレートの庫を訪れたとき、サイドタンクの付いた機関車が1輌、修理中でした。翌年S2氏が訪問したときには、ガト・プレートにはその機関車はなく、カジャマールの奥の修理工場に14号が置かれていて、それはサイドタンクのない姿でした。このため『SL No7』の記事では「10・14号の他にもう1輌同型機が居たようだ」と書かれていますが、実はこれらは同じ機関車だったのです。(他にもダブルカウントがあり、在籍した機関車は『SL No7』の表よりは少ない28輌というのが最新のデータです。その一覧は発売中の『ペルス鉄道1971」で紹介されています。)
 ペルス鉄道では、他の鉄道から来たタンク機関車(薪焚き)を、本線の貨物列車を牽かせるため4輌もテンダー機(重油焚き)に改造していました。延長わずか20数キロの鉄道が、それだけの技術を持つショップを擁していたことには、驚嘆せざるをえません。
 75/76年にI氏が行ってみると、14号は再びサイドタンクを載せ、立派なテンダーを従えガト・プレートの庫に置かれていました。残念ながら14号の走行風景はけむりプロのメンバーは見ていませんが、欧米の鉄道ファンの撮影した写真を見ると, 77年には本線を走っていたようです。 

重油焚きの特徴


 ブラジルでは良質の燃料炭が採れなかったため、ペルス鉄道だけでなく、70年代まで蒸気機関車を動かしていた他の鉄道(VFCOやDTC)も重油を使っていました。
 日本では国鉄蒸機の一部に重油併燃装置が付けられていましたが、テスト用や近年の遊園地用を除き、重油だけを燃やして走っていた機関車はありません。
 テンダーとの間に油送用のパイプがあるのが外見上の特徴ですが、実際にこれらのカマを見ていて驚くのは、薪や石炭を燃やしている場合に比べて蒸気の上がりが圧倒的に速いことです。

ペルスの機関車 その5

 14両のボールドウィンのうちで、末期に最も活躍していたのは10号。この機関車はサイドタンクとテンダーを併せ持つという不思議な格好をしていますが、元はタンク機関車だったのです。EFPPに来る前はパウリスタ鉄道で客車を弾いて活躍していました。(南軽出版局の『ペルス鉄道1971』には、その時代の写真と、ペルスに来てから改造されるまでの間に撮影された貴重な写真が掲載されています。)
 この機関車は、1960年代のいつごろか不明ですが、コールバンカーを取り払ってキャブの後ろを開放型にし、重油焚きのテンダー機に改造されました。上の写真で分かるように、キャブとテンダーとの間隔はとても開いています。テンダーは小さいながらボギートラック。見た目に印象の強いサイドタンクがこの機関車のユニークな魅力ともいえますが、これは改造後も牽引力を落とさないようにするためのデッドウェイトとして使われていたようです。

入口へ戻る   前の ページへ  次のページへ    注目のサイト・動画・資料コーナーへ