線路の楽しさ
阿里山タタカ線の終点 (その3)
『阿里山森林鉄道1966-1968』58-59ページにはタタカ線の終点を出る運材列車の写真が掲載されています。
注意深くご覧になった方はお気づきのことと思いますが、4点の写真はすべて違う列車です。
撮影者の杉行夫は、1967年と68年に、おそらく日本人としては戦後初めて阿里山から奥の林場線の撮影に入っています。
タタカ線は阿里山から東へ尾根伝いに20㎞進んだところまで延びており、一日に1-2往復の運材列車が走っていました。
終点までは列車に乗って入ることができるのですが、戻る列車に乗らないと歩いて帰らねばなりません。
奥地から運ばれてきた巨木を積んだログカーを牽いて出発する機関車は、わずかの間だけ黒煙を上げて進むものの、すぐに絶気して下り勾配を阿里山まで下ってゆくので、
線路わきで煙を吐いて進む運材列車の姿を撮ろうとすると、その列車には乗れません。撮影者本人も詳細は覚えていないのですが、写真から判断すると少なくとも2回か3回、出発する運材列車を見送った後で20㎞線路を歩いたと思われます。
この場所には、3つの集材側線が設けられていましたが、本線からポイントで分岐しているだけで<機回し>ができません。左上と真ん中の2点は、阿里山から列車が到着したところですが、左奥の側線上に前日に丸太を積み込んだログカーが置いてあります。
一番奥の集材地点には側線が2本あったので、機関車は編成全体を空いている側線に突っ込み留置。もう1本の側線に移動して丸太を積んであったログカーを連結し、ブレーキのエア込めなど準備ができたら出発、という手順を踏んでいるように見えます。
編成を終えた運材列車が出発する最も良いシーンは『阿里山森林鉄道1966-1968』58-59ページをご覧ください。左の3枚目は、阿里山へ下る列車の後部に乗って出発直後にシャッターを切った1枚。この次のカットでは、もう機関車は煙を吐いていません。阿里山までブレーキ操作だけを頼りに下ってゆくのです。
この集材地付近から新高口・阿里山方面に向かう線路を見渡すと、一番下の写真のように、斜面に左右に刻まれた傷跡のごとく線路が続いているのを望むことができます。
列車が走っているカットも残されているのですが、機関車が煙を吐かず列車全体も豆粒のように小さく見えるだけで、あまり印象的ではありません。
左右の景観も含めこの絶景の真髄を味わうには、是非『阿里山森林鉄道1966-1968』をお求めになって、付録のパノラマ写真を開いてみてください。