線路の楽しさ

      

阿里山森林鉄道タタカ線の終点(その2)

前回も取り上げたタタカ線の終点ですが、ここは以前に山火事があり、その昔にはもっと先まで線路が延びていた と伝えられています。今回はそのあたりを追ってみましょう。

タタカ線の終点にあった集材柱。背後に見えるのは阿里山から北に延びる大塔山の稜線。1968年 撮影=杉行夫

左の写真は、当時タタカ線のいちばん奥の集材側線にあった集材柱ですが、明らかに焼けた跡が見られます。根元の部分は2本か、あるいは太い幹が裂けて2本になっているようで、 上部には同じくらいの太さの丸太が2本束ねてワイヤで縛りつけられており、そのほか写真に見るように数本のワイヤで地表に固定されています。

撮影者の杉行夫は、この最奥の集材側線のところからさらに1kmほど先へ探索を進め、その記録も残っています。右の2点は、その過程で撮影されたもので、 とくに左写真では枕木の跡とレールが残っており、かつては線路が敷かれていたことがハッキリわかります。
 線路はこの先、東哺(トンボ)山と呼ばれる方面に延びていたはずです。杉行夫の証言によると「焼けて崩れたトンネルの跡が岩に埋まっていた」のだそうですが、 その写真は見つかっていません。山火事が起きる以前のタタカ線の様子を伝える写真も、残されていないようです。 そして、そのあたりから後方を振り返ると、下の写真のようにタタカ線の終点が一望できます。

山火事の後に放棄されたらしい線路跡と焼けた樹々 1968年 撮影=杉行夫
右やや下に見えるのが当時タタカ線の最奥地にあった集材側線。そこから撮影地点まで線路跡が続いている。1968年 撮影=杉行夫

写真の右下に小さく見えるのが、最初に紹介した集材柱。そこから左手前に延びているのが廃線跡。中央に光って見えているのが集材側線脇のヤードから登っていくトラックの道路で、 この道は急勾配で背後の斜面を登り切り、稜線を越えて新高山(玉山)方面へと続いています。直径が1m以上もあるような太い丸太は、この道をトラックで運ばれ ここでログカーに積み込まれて、2500m下の貯木場へと運ばれていたのです。
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