線路の楽しさ
警報機も遮断機も無い国道の踏切
右は2021年の第17回「エア軽便祭」ポスターのもう1枚。糸魚川の東洋活性白土工場の専用線にいた軌間2フィート(610mm)の2号機が、
国道を横切っているところです。
ここは、専用線が国道8号線を渡る踏切なのですが、ふつうの踏切のような警報機や遮断機はありません。誘導員が旗を持ってクルマを止め、
小さな蒸気機関車が数輌の貨車を推したり牽いたりして通過する間、人もクルマも静かに待っています。昭和40年代になって、こんな光景が見られる場所は、
全国でここだけだったと思います。どうしてそういう仕組みになったのか、法令上はどういう扱いになっていたのか
事情は分かりませんが、原因として考えられるのは、この工場の敷地が道路の両側に広がっていたことです。
おそらく、最初に線路が敷かれた当時、この道路は未だ交通量が少なく、いわば「道路が工場内を横切っている」ようなものだったのではないでしょうか。
しかも、短い列車が一日に2回ほど往復するだけなので、わざわざ警報機や遮断機を設ける必要がないと判断されたのでしょう。
左は、ポスターになった画像の直前の2カット。自転車の女性が通過を待っている間に、反対側からクルマが来ている様子が分かります。
ポスターになった画像も、この2枚と同じ画角のものをトリミングしているので、元の画像には、こちら側からもトラックがやってきて
停止しているところが写っています。
近隣のドライバーには何が通るか知られていたと思いますが、事情を知らずに停止させられたクルマの側も、こんな列車が目の前を横切るのを見れば、
思わず頬を緩める瞬間があったのではないかと思います。
国鉄から蒸気機関車が消えた6年も後、1982(昭和57)年に工場と専用線が廃止されるまで、こうした光景が毎日くりかえされていたのでした。