ストラクチャーの魅力
葛生のホッパーと鉱車
第16回「エア軽便祭」のもう1枚のポスターは、左のようなものでした。これも住友セメント栃木工場の専用線で、撮影地は終点の唐沢鉱山です。
この終点には砕いた石灰石を貨車に積み込むホッパー(右写真)があるのですが、60年代には「保安第一」の文字の高さまでだった設備が、
その後の需要増に対応するためか、かなり高く嵩上げされています。
ポスター写真は、このホッパーの手前にある側線に停車中の列車を、横から撮ったものです。
下の写真が、加工する前の原画(多少トリミング有り)ですが、背景には森が、手前には田んぼが広がっています。
列車はここで一旦停止して、機関車を鉱車から切り離して最後尾に連結し直し、推進で左にカーブしてホッパーに押し込んでいきます。
機関車と鉱車の間に写っている人は、これから連結を切る作業をするところでしょう。側線は1本しかないので、
積込みを終えた列車を先に出発させてから機回しをするか、機回しをしてから荷を積んだ列車が出発するか、どちらかです。空荷の列車が着いて
機回しを終えても、まだホッパー内の列車への積み込み作業が終わっていないときだけ、右のように2列車が並んでホッパーに入っている姿を見ることができます。
上の写真は、ごく普通の軽便鉄道にある田園風景のようにも見えます。実際、撮影者の立っているところから後方あるいは左に百mほど進むと、
屋敷森に囲まれた農家があるのです。列車本数の多いことと並んで、鉱山の軌道らしからぬこの沿線風景が特色の1つでした。
機関車は、1960年代初めに製造された日立製のディーゼル機関車で、いかにも「産業用」の印象がある黄色に塗られていましたが、小さな二軸の鉱車を長く連ねて走る姿は
なかなかに魅力的。
この軌道の車輌の歴史については、詳しいことが分かっていません。短い二軸鉱車は100輌以上あったようで、右の2タイプが存在していました。
右上のリベットが多い方は、側板を継ぎ足して積載量を増しているので、こちらがより古いものと思われます。上の大きな写真で見えるように、ブレーキホースを繋いで使われていましたが、
これも製造時からではなく後に貫通制動化されたのかもしれません。
写真の日立製機関車が導入される以前には、KATOの内燃機関車が使われていたらしいのですが、昭和30年代には工場の片隅に蒸気機関車(コッペル)の廃車体も放置されていたそうです。
コッペルは来歴や使用状況など全く不明ですが、ガソリンの使用が制限されていた戦時中から敗戦直後にかけて、蒸気機関車が使われた可能性はあるでしょう。
コッペルの牽く列車が、田んぼや村の中、森を抜け、東武鉄道の貨物列車と並走していた姿を想像するのは、実に心楽しいものがあります。
東武の会沢貨物線は昭和40年ごろまで電化されておらず、ピーコックやネルソンが活躍していました。3フィート6インチの古い英国製蒸機と
2フィート6インチのコッペルが競争する姿。模型で表現することは可能です。
どなたか、挑戦しようという方はおられませんか?、