線路の楽しさ
バタシアループの今昔
以前にバタシア・ループを下るダージリン行き列車を紹介しましたが、逆に ダージリンから麓に向かう列車は、グームまでが上り勾配になります。煙を吐きながらループをめぐる様子を見下ろせるこの地点は 今も格好の撮影地ですけれども、景観はすっかり変わってしまいました。
右の写真は2006年に撮影されたもので、ループの内側には休憩所が設けられ、中央にはグルカ兵の慰霊塔が立っています。
グルカ(ゴルカ)とはネパール系住民の別称で、勇猛なことで知られたネパールの山岳民族は英国やインドの「傭兵」として
戦地に赴いてきました。ダージリンにはネパール系住民が多く、近年では西ベンガル州からの独立を求める運動も盛んになっています。
外国からの観光客が多数訪れる名所に慰霊塔が建てられたのは、ネパール人の力が強くなっていることを反映しているようです。
1969年のバタシア・ループは何も人工物のない草原で、「風の通る場所」という名にふさわしい コスモスの咲き乱れる丘でした。その最も美しい写真は、『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』 の 折込ページをご覧ください。同書の写真で見られるように、かつてはグーム方面からループのある丘の上を走る列車の遠望を撮ることもできたのですが、今では 丘の上の木が育ってしまったため、カンチェンジュンガの峰々を背景に列車を撮ることも難しくなりました。
ループのある丘から南のグーム駅の方を眺めると、幾重にもカーブを連ねた線路が見え隠れしながら高さを稼いでいく様子が分かります。
しかし、今では住宅が立ち並んでおり、左の写真のように、まるで街中を走っているような印象になっています。これでは
列車が煙を吐きながらグームに向かうところを撮っても、住宅ばかりが目につき列車が埋もれてしまいますね。
下は同じ場所での1969年の撮影。バタシア・ループで雨のために空転し停車していた5列車が、続行運転でグームに向かうところです。
当時は、このように建物はわずかで、右端に見えているチベット仏教の寺院だけが目立つ存在でした。
このときの最も良いカットも、『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』の
52-53ページに掲載されています。
ダージリン・ヒマラヤン鉄道は、「世界遺産」に登録されていることで知られ、120年前につくられた蒸気機関車が現在も活躍している
稀有な存在です。しかし、50年前の姿は、山岳鉄道らしさのあふれる、はるかに心楽しく魅力的なものでした。
その生き生きとした情景に思いをはせるには、『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』 の ページを開いてみてください。南軽出版局が自信をもってお勧めする「世界で最も美しいダージリン鉄道の本」です。