線路の楽しさ
海抜2350mの尾根を越える タタカ線自忠駅
タタカ線の途中には、自忠という駅がありました。ここには建物や側線、引き込み線などもあったのですが、 1960年代には警察署が置かれ、許可なく奥地に入ろうとすると列車から下ろされてしまうなど警備が厳しかったため、何度も撮影に入った杉行夫もシャッターを切った回数は僅か。 下の写真は、『阿里山森林鉄道1966-1968』52ページとほぼ同じ位置で撮られたものですが、線路や建物、背後の山の様子が分かる貴重な一枚です。
写真の手前が阿里山方。奥で左にカーブしたタタカ線は、新高口を経て終点の集材地へと向かいます。
この駅が設けられたのは1934(昭和9)年。開業当時は第4代台湾総督の児玉源太郎にちなんで「児玉」と名付けられていました。
その時代は、この路線名は「タタカ線」ではなく「水山本線」と呼ばれ、新高口から先が「タタカ線」だったようです。
また、写真の右手前方向に向かって、ここから「水山支線」が分岐していました。
そこには林場線用の18tシェイは入らず、ガソリン機関車を使用して運材をしていたらしいのですが、詳細は判明していません。
タタカ線は翌1935年に新高口まで開通し、客扱いもしていたようですが、当時の資料や写真は見つかっていません。
新高口から分岐する支線は、最近嘉儀県が行った調査によると「霞山線」と「石水山線」の2本があり、索道を介して集材をした
「東埔下線」も最初は新高口から下っていたという資料があるのですが、これらについても詳しいことは未解明です。
左は現在の18号線の自忠付近で、50年前の面影はありませんが、背後の山の様子は
上の写真とあまり変わっていないように思えます。
阿里山駅は海抜2274m。自忠は戦前の五万図で見ると2350-60mくらい。8Kmで80m程を登ってきたことになるので
平均勾配は約10‰。意外と緩いと思われるかもしれませんが、地形的に東に向かうには、ここを経由するのが最も良い場所なのです。
下の地図を見れば分かるように、線路は自忠の手前で鞍部を乗り越します。傾斜の緩い尾根筋の切れ目で
「曾水溪」から「陳有蘭溪」の源流部に移り、稜線の北側を東へと向かうのです。
海抜2300mを越す尾根を越えていく線路。実に驚くべきものですが、このような鉄道路線は旧領土を含む近代日本の歴史上で 他に類例を見ません。これは、阿里山の鉄道建設と森林開発が、北米の森林鉄道に範をとったことに由来するのです。