線路の楽しさ
阿里山タタカ線 海抜2500mを超す集材地
阿里山から奥、新高山方面に向かうタタカ線に第二次大戦後に最初に撮影に入った日本人は「けむりプロ」杉行夫
だと思われます。1967年と68年にタタカ線の終点の集材地に赴いた際に記録された写真は、従来『鉄道讃歌』
142-143ページに3枚が掲載されただけでしたが、一昨年に南軽出版局から刊行した『阿里山森林鉄道1966-1968』の
56-59ページそして付録のパノラマ画像で、その真髄をご覧いただけるようになりました。
下の写真は未公表の1枚ですが、入換えをしているシェイの背景に非常に特徴ある形をした崖が見えます。
タタカ線の線路跡は現在、大部分が「台18号線 阿里山公路」という道路の一部になっています。嘉儀の市街から阿里山
へと登るのが18号線で、鉄道が一部不通になっている現状では、阿里山に向かうにはこの道路を使うしかありません。
阿里山一帯は車両の進入が制限されていますが、18号線はさらに東へと向かい、かつての自忠、新高口を経て20kmほど
進んだところに「東埔山荘」という宿泊施設があります。
そのあたりが50年前の集材地点で、奥地からトラックで運んできた丸太を集材架線で貨車に積み込んでいました。
上の写真で左から右にかけて見えている線が、線路脇の集材機から土場に延びるワイヤです。
今では木が茂って見通しが良くありませんが、道路から50年前と全く変わらぬ崖を見ることができます。(写真右下)
『阿里山森林鉄道1966-1968』をお持ちの方は付録パノラマ画像の右半分を見ていただくと、この崖を含む
長大な尾根の様子が分かります。
18号線は元のタタカ線より少し高い位置につくられているようですが、ルートはほぼ同一。 Google Earth の「ストリートビュー」が使えるので、いまや現地に行かずに「タタカ線跡探訪」をすることさえ可能になりました。