編成や運行のおもしろさ
葛生の石灰列車
第16回は会場での開催をとりやめ「エア軽便祭」(twitter等SNSへの投稿により開催)となった軽便鉄道模型祭。例年通りつくられた公式ポスターは、
栃木県の葛生にあった住友セメント栃木工場の専用線です。
東武鉄道佐野線の終点、葛生駅から延びる貨物線を少し進むと大きなヤードがあり、そのわきにある工場から3kmほど先の唐沢鉱山まで、2フィート6インチ(762mm)の
石灰運搬用の軌道が延びていました。
この軌道は1938(昭和13)年につくられたそうですが、鉄道ファン・モデラーに広く知られるようになったのは『鉄道模型趣味』誌242(1968年8月)号に掲載された
「762mmの砕石軌道」(「ナローゲージ・モデリング」に再録)という記事によってでした。当時は、雑誌でナローゲージの専用線が紹介されることは珍しかったのですが、
Nゲージ製品を活用したHOナローの展開を追及していた橋本真さんたち「さーくる軽」メンバーが、模型化のプロトタイプとして、この路線の施設や車両、沿線風景を詳しく取り上げたのです。
首都圏から近く、周辺には東武の貨物線や日鉄鉱業の羽鶴専用線などがあったことに加え、
たくさんの列車が走っていたので、この記事をきっかけに訪れた人も多かったようです。
中学生の時に『鉄道模型趣味』の記事を見て興味を持った撮影者は、高校1年生になった1970年の6月に初めて現地を訪れ、翌年まで3回訪問しています。
工場を出るとしばらく田んぼの中を走り、列車交換のため複線になっている場所に着きます。 葛生はセメントの原料である石灰岩が豊富で、「一日最大50本」(前出の記事にある数字)と輸送量は多く、単線3.3㎞の路線の途中に2か所、交換所が設けられていました。 ただし、上の写真は途中の交換所ではありません。終点の唐沢鉱山に空の鉱車を牽いた列車が着いたところで、撮影者の背後に積込み用のホッパーがあります。 この後すぐに砕石を満載した列車が右側の線路から工場に向け出発していきました。
5輌の機関車がフル稼働し、右写真のように途中の交換所で上下の列車が離合すると、10分も経たないうちに次の列車が来ます。 このときの編成は砕石を積む小さな貨車を22輌つないでいるのが最長でした。 1時間、ときには2時間待たないと列車が来ない田舎の軽便鉄道に比べ、ここでは1編成が60mほどもあり(前回取り上げた沼尻鉄道の混合列車より長い)、 都会の通勤電車並みの列車密度があったわけです。
線路は田んぼの中を走るだけでなく、森の中を進んだり小さな川を渡るところもあり、3フィート6インチの線路(東武の貨物線)と数百m
併走する区間もあります。短いのに変化に富んだ風景があること、立派な長い編成で列車の本数が多いことが、この路線の特徴でした。
1974年になると大型の貨車が導入され、15トンの新型機関車が入り、それまで使われていた10トン機は
重連で列車を牽くようになります。列車が重厚な鉱山軌道らしい印象になって、この時代の <どことなく味噌汁軽便風> の感じが薄れてしまいました。
さらに、1980年には鉄道輸送自体が廃止され、地中に埋設されたパイプ中を圧搾空気で鉱車を送る「カプセルライナー」という方式で
砕石が運ばれるようになっています。