ストラクチャーの魅力

      

ダージリン鉄道 1969年のスクナ駅

ダージリン・ヒマラヤン鉄道(DHR)の起点ニュー・ジャルパイグリから17㎞ほど北へ進んだところに、スクナという駅があります。今では複線の交換設備だけになっていますが、 かつてのスクナは広いヤードがあり、ときには多くの車両が停まっている活気ある駅でした。小さな蒸気機関車はタンクがすぐ空になってしまうので、ここで最初の給水をします。

スクナ
スクナ駅の北のはずれから南のシリグリ方面を見る。機関車は右のタンクから給水中 1969年 撮影=杉行夫

列車の周りには、仕事中の乗務員や休憩している乗客だけでなく、近隣の住民がやってきます。子どもたちや、ヤギ、犬までが構内をうろついている様子が よくわかる当時の写真は 『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』 14~19ページにありますので、是非ご覧ください。
 駅の西(上写真で右)側は道路があるのですが、構内との境目がどこなのか よく分からず、反対側には住宅や作業場らしい建物が並んでいます。村人にとって駅は道路の延長、家の庭先のようなものだったのかもしれません。

スクナの人
東側には建物が並んでいる。何をしているのか? 仕事をしているようには見えない人々。
左下は停車中の機関車の影 1969年 撮影=杉行夫

貨車が多数停まっていることがあるにもかかわらず、貨物ホームはなく、東側に引込線が1本しかないのも不思議です。(構内配線図は『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』14ページにあります。) 何事にも多数の人手をかけるインドのことですから、荷の積卸も、人が線路を歩いて来て、やっていたのかもしれませんね。
 DHRの貨物扱いは1993年に終了し、今ではスクナ駅の側線も撤去されています。けれども、「夢遊生活の日々」2007年の訪問記にある スクナ駅の風景 を見ると、住民や家畜が我が物顔に構内を歩く習慣だけは、40年前とまったく変わっていません。また、西側にあるホームと駅舎の様子も、ほとんど同じままのようです。関心のある方は、夢遊仙人さんの撮影された 駅舎と『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』 18~19ページの写真を見比べてみてください。
 ここスクナから、線路は次の駅ラントンまで僅か8㎞で260m以上も登り、急勾配は64㎞先のグームまで続きます。駅の北側にひらける風景は、これまでとは一変し、森と 雲に覆われた山塊です。

平面クロス
スクナ駅から北のダージリン方面を見る 1969年 撮影=柳一世

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