ストラクチャーの魅力
阿里山林場線のティンバートレッスル
タタカ線は昭和9年に自忠(当時の名称は児玉)まで、10年に新高口まで完成したことが台湾総督府の「府報」に記載されていますが、
公式の路線図は現在まで見つかっていません。戦前に陸地測量部が作成した五万分の一の地形図があり
「昭和2年測量及同20年測図」とされているのですが、そこには線路が描かれていないのです。
欄外に「軍事機密」の文字があって一般には流通していなかったと思われますが、なぜ線形が描かれていないのか
という事情は不明です(国会図書館に現物があり閲覧も複写も可能です)。
『阿里山森林鉄道1966-1969』の付録パノラマ写真の裏側には、この地図を加工したものを掲載していますが、
元の五万図に描かれていたのは嘉儀から沼平までの本線と塔山線、眠月下線だけで、タタカ線の部分は推定です。
1960年代後半から70年代にかけてタタカ線に入った日本の鉄道ファンは何名か居るのですが、
正確な線路図を手に入れた人は、私たちの知る限りでは一人もいません。
何度も撮影に入り、一人で二千枚以上の記録を残している「けむりプロ」の杉行夫も、50年前の撮影行の詳細は
覚えておらず、左写真の最高橋梁の位置も正確に把握できていませんでした。そのため、『阿里山森林鉄道』の制作に際しては
地理の教員をしておられるGさん(初期の羅須地人鉄道協会のメンバー)の協力をあおぎ、判明している距離・標高と、五万図の
等高線、多数の写真から線形を推定し、橋の場所を特定しています。
またGoogleのストリートビューを使って、18号線と旧タタカ線の重なる部分を全部チェックした結果、上記の
推定が正しいことが確認できました。その後に入手した資料2種類(台湾で発行された書籍や自治体のレポートで
古老の証言や現地踏査によって作成されたらしきもの)でも、タタカ線の形状は私たちの本に掲載した図と符合
しています。
左の画像で阿里山の東に深く切れ込んだ谷の様子が分かります。谷の南を迂回しているのが18号線です。
白い点線は南投県と嘉儀県の境界で、これがほぼ稜線と一致しており、鞍部になっている自忠でタタカ線が
南斜面から北の谷に乗り越していました。