四季おりおりの姿

      

明治村の蒸機列車

ポスター(2020年)

右は、2022年の第18回「軽便鉄道模型祭」ポスターのもう1枚。頸城鉄道のコッペルが、この鉄道を最後に走った1966年5月の記念運転時に 明治村駅で撮影されたものです。
 全線15㎞ほどの頸城鉄道には、途中に列車交換のできる駅が3つありました。前回とりあげた百間町、この明治村、そして飯室駅の3つです。 しかし、1960年代後半のダイヤを見ると、明治村での交換は早朝の1本しかなかったようで、駅舎の反対側にある側線はすっかり草生して、 あちこちにタンポポの花が咲いている「草のじゅうたん」になっていました。
 ポスターに使われたものは、ふだんは列車の入らない側線で蒸気機関車の牽く列車が退避しているところに、後から追いかけてきた頸城の名物ホジ3が右のホームに停車、 お客を乗せて追い抜いていくという、とても珍しく、かつ素敵な瞬間です。

コッペル2号機の牽く特別列車が明治村に到着 1966年5月 撮影=杉行夫

左写真は、蒸機牽引列車が明治村に到着する様子。けむりプロ『鉄道讃歌』に掲載された有名な写真の1カット前の撮影です。 先頭に立つコッペル2号機は、ディーゼル機関車3台が配備されて以降も百間町の機関庫で長らく保管されていましたが、この日、 ボイラー検査の期限が切れて廃車となるのを機に、特別列車が運転されることになりました。
 鉄道ファンを乗せて全線を一往復し、途中で撮影の便宜をはかる、いわゆる「フォトラン」で、 駆け付けた人々は列車に乗って一日を過ごしたのですが、けむりプロの2人は特別列車にまったく乗らず、 沿線で列車を待ち構えていました。この明治村への到着シーンは、沿線風景を熟知していた夢遊仙人さんの発案で、 列車に乗らずに待っていたからこそ撮れた美しい瞬間なのです。

ホーム側に到着した特別列車が、通過列車を2本待つためにバックして側線に入る 1966年5月 撮影=杉行夫

 いったんホームに着いた列車は、浦川原からやって来る列車と、新黒井から来る列車の2本を通過させるために、本線上を後進して 普段は使わない側線に入りました(上写真)。停車時間が長いので、機関士さんは足回りへの注油など、ゆっくり整備中(下左)。乗ってきた鉄道ファンの多くは、待合室やホームの木陰でその様子を眺めています。 やがて、ホジ3が追いかけてきたところを撮ったのが、ポスターに使われた写真。
 続いて、DB81の牽く列車が反対側から到着します(下右)。この後、特別列車は再び駅舎側の本線に戻り、機関車を切り離して小さな転車台のところまで移動。 そして、在りし日の蒸気軽便の魅力を彷彿とさせる、桜の木の下に佇む名作(『鉄道讃歌』巻頭、RMライブラリー『頸城鉄道』表紙カラー写真)が撮られたのです。

左)通過待ちの間に側線で整備 撮影=杉行夫 (右)新黒井からDB81の牽く列車が到着し、すれ違う瞬間 撮影=夢遊仙人

 この日、けむりプロの2人が撮影した写真は、『鉄道讃歌』に5点、RMライブラリー『頸城鉄道』に4点が掲載されたのみで、残りは半世紀以上も 未公表のままになっていました。南軽出版局で制作中の『蒸気軽便 煙たなびく日々』(仮題 新春刊行予定)には、これらのうちから選んだ最良のカットが 十数ページにわたり掲載される予定です。ご期待ください。

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