編成や運行のおもしろさ

       

頸城鉄道 百間町での列車交換

ポスター(2020年)

右は、3年ぶりの会場開催となった2022年の第18「軽便鉄道模型祭」ポスターの1枚。頸城鉄道の百間町駅で撮影されたものですが、同じ位置から撮ったものが RMライブラリー『頸城鉄道』の扉写真に使われていることにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
 この駅を撮った写真は数多くあるのですが、こんな角度のものは他に見たことがありません。それだけではなく、前後の画像をチェックしてみると、 たいへん面白い情景が展開されていたことが分かります。以下、数カットをとりあげて解説を試みますが、後で述べる謎の解明のため、 水平が出ていない写真もそのままご紹介しますので、ご了解ください。
 まず、飯室方面からホジ3の牽く列車が到着(下左)。転轍機を足で押さえているのは百間町駅の職員だった早川さん。 次に、反対の新黒井方面からDB81の牽く混合列車が到着するところが、RMライブラリーの1枚。 ホジ3牽引の方が出発し、2列車が構内ですれ違うところが下中の写真、その列車が駅を出ていくところが下右、最後がポスターの写真です。

ホジ3の牽く列車と、DB81の牽く列車が百間町で離合する 1968年9月 撮影=夢遊仙人

 この3枚とポスター、RMライブラリーの写真を見て、何か気づきませんか? ホジ3の牽く列車は、ボギー客車(ホハ)と二軸の荷物車(ニフ)という編成ですね。DB81の牽く列車は… そう、編成が変わっているのです。
 DB81牽引の列車は、到着した時は機関車の後ろに、有蓋貨車+無蓋貨車+ボギー客車2輌+有蓋貨車 が繋がっていました(上中の写真)。ホジ3牽引の新黒井行きが出て行った後、残った列車は無蓋貨車と ホハの間で連結を切って、機関車が貨車2輌を飯室方に引き上げ、客貨車のある側線に入れています。 それから機関車が戻ってきて、再び連結された状態が、ポスターの写真。 この入換え作業の間、早川さんはずっと手旗を持って機関車のデッキに乗っています。
 もう一人の女性職員、上井さんは駅の反対側のポイントで、DB81の牽く列車が到着する際に信号手を務め、 ホジ3の列車が出ていくのを見送ってからホームに戻って、何か打ち合わせをしている様子。 ホームや線路の高さで見ていたのでは分からない、こうした作業工程が、このときの20数枚の写真から読み取れるのです。
 さて問題は、これらの写真が何処から撮られたものなのか? 現役当時の百間町を訪れたことのある方なら、一様にその点を 疑問に思うに違いありません。

ホームの端に続いている客貨車庫。このどこから撮影されたのだろうか? 1968年9月 撮影=夢遊仙人

百間町のホームは、左写真の客貨車庫に続いています。一連の写真の撮影位置は、ホームの東側の高さ3mより高いところだと思われます。 実際、上左の写真には特徴のある(瓦で覆われていない)軒先の部分が写っています。側面の高いところには窓がありますが、この窓枠に 乗って樋に掴ったのか? それとも、妻面の張り出している部分の屋根に登って撮っているのでしょうか?

撮影者本人がハッキリ覚えていないので、断定はできませんが、どちらにしても落ち着いてシャッターを切れそうな場所には見えません。 しかも、明らかに望遠レンズと標準レンズ2本を使い分けたカットが同じネガにあるので、不安定な体勢でレンズ交換をしているのです。 「仙人」というだけあって、空中浮遊の術でも体得していたのでしょうか?
 撮影者「夢遊仙人」さんは頸城鉄道の「無料乗車証」を貰っていたのですが、それを見せることもなく「顔パス」で乗り降りしていたとか。 それほど、この鉄道に足繁く通って職員にも知られていたから、こんな離れ業ができたのでしょう。 客貨車庫は現在も「車両展示資料館」として残っていますが、空を飛べない凡人とよいこは決して真似をしないように。 

入口へ戻る   画像倉庫へ    前々回の写真     前回の写真