四季おりおりの姿

      

冬の草軽・栗平駅と鷹繋山

新刊『軽便鉄道 雪景色』の扉写真は、手に取ってご覧になった方の大半が初めて目にする景色だろうと思います。雪野原の中の小さな駅と短い列車、背後にそびえるのは なかなか存在感のある山。雪景色を集めた写真集の冒頭を飾るにふさわしいこの写真は、草軽電鉄の栗平(くりだいら)という駅を撮ったもので、背後の山は鷹繋(たかつなぎ)山という名です。

栗平駅に停車中の草津方面行列車。デキに牽かれた木造客車は廃止された東武伊香保軌道線の電車を改造したもの 1960年 撮影=青山東男

この駅はスイッチバックで有名な二度上(にどあげ)と北軽井沢の間、吾妻川の支流である熊川が法政大学村の脇を抜けてさらに二つに分かれるあたりに 位置していました。草軽電鉄は鉄道ファンに人気があり、早く廃止された割には多くの写真が残され、過去に『草軽電気鉄道』(プレス・アイゼンバーン)と 『草軽 のどかな日々』(RMライブラリー)という2冊の本が出ていますが、この栗平の様子は、それらの本にも収録されていません。 草軽には魅力的な撮影地がいくつもあり、それらの陰に隠れてあまり知られることがなく、降りて撮影した人が少なかったのかもしれません。
 駅の周辺は起伏が少なく、あたりには農家が点在しています。北の吾妻川から浅間山麓の六里ヶ原に向かって、熊川、小宿川、小熊川などの支流が 南下しているのですが、古い地図(昭和2年発行)を見ると川沿いに僅かな人家があるだけで、現在の北軽井沢周辺は人のほとんど住んでいない放牧地だったようです。 栗平に北軽井沢よりも古くから集落がつくられたのは、水の便が良く平地が多かったせいではないかと思われます。

栗平駅から二度上方に鷹繋山が見える 撮影=竹中泰彦

また、長野原町の町史には、大正末期にこのあたりで盛んに木材生産が行われ、関東大震災の復興需要に応えたことが書かれています。後には北軽井沢は別荘地として 有名になりますが、栗平はそれよりも古い歴史をもつ最深部の山村だったのです。現在は、栗平から鷹繋山の南側を走る群馬県道54号線が 昔の二度上駅の少し北を通って高崎市に抜けています。

右は北軽井沢がまだ「地蔵川」という名だった時代の地図ですが、北軽側から南東に向かって登って行くと、栗平を最後に人家が途絶え、山中の渓流沿いに急勾配が続く様子が よくわかります。
 草軽電鉄の廃止前に何度か撮影に赴いた竹中泰彦氏や、けむりプロの故・青山東男は、この二度上~栗平間を歩いたようです。 一番上の写真は、栗平駅の南西にある丘の上から見た風景で、かつてキネマ旬報に掲載されたけむりプロの作品「草軽のこと」で 最後のページに使われた写真(今回『軽便鉄道雪景色」10ページに再掲)も、この丘から北を向いて撮られたものです。

昭和2年陸地測量部発行の地図より。まだ北軽井沢駅は「地蔵川(ぢぞうがは)」という名で書かれている

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