なんかる辞典
このサイトで使用されている用語、表現などの由来を説明するページです。これらを理解することで、南軽出版局の主張をより的確に把握することができるでしょう。
鉄道・地名編(作成中)
ありさん
台湾の森林鉄道。新高山の西斜面をスパイラルやスィッチバックを多用し最急勾配66.7‰で登るため、米国ラィマ社製のシェイ・ギヤード・ロコを使用した。1966年に井上一郎・梅村正明・河合正・杉行夫の4人が撮影に入り、「鉄道ファン」No62に「台湾の汽車-2」を発表して以来広く知られるようになった。この記事中のシェイの夜間撮影が、つげ義春「ねじ式」に模写されて使われたことは意外と知られていない。→梅村氏のサイトこのページ5月6日の項を参照。
おめがるーぷ
ギリシャ文字のΩのような形に曲がった線路のこと。地形に逆らわない美しさに注目し、けむりプロが『草軽のこと』で谷所の「オメガループ」を紹介してから広まった。Ωカーブ、オメガと呼ばれることもある
かみあしべつものがたり
①1969年1月発行の「SL」誌No2巻頭を飾ったけむりプロの作品。12ページで写真16枚。②けむりプロ「鉄道讃歌」の巻頭を飾った作品。28ページで写真34枚。両方に共通する画像は4点しかなく、前者は「上芦別ものがたり」、後者は「上芦別物語」とタイトルも区別されている。鉄道廃止から約5年をかけて膨大なストックから僅か46カットを選び抜いた陰にどれだけの未公開画像があるのかは知られていなかったが、最近一部がデジタル化された結果2500点を遙かに超えていることが判明した。
かるぼんさん
①宮沢賢治の詩にしばしば登場する表現。famous phrase 「雲はたよりないカルボン酸」とは、カルボキシル基が反応性に富むことから、<雲がくっついたり離れたりを繰り返すさま>を表現したものと思われる。②軽盆山=南部軽便鉄道沿線にある山の名。
きーるん 基隆
台湾にあった基隆煤鉱(炭鉱)の専用線。軌間2フィートで、楠木製作所/川副機械製作所製などの蒸気機関車を使用。「鉄道ファン」66号、キネ旬「蒸気機関車」69年春の号、「SL」誌No5で断片的に紹介されたが、2012年の「基隆炭鉱鉄道」(南軽出版局)によって改めてその全貌が把握できるようになった。現在、成田「ゆめ牧場」で動いているNo3とNo6は、この鉄道に在籍していた機関車である。
ぐーす goose(英)
galloping goose の略。自動車を改造した鉄道車両で、日本で言うモーターカーの一種。エンジンルームが前に突き出た形状で、名称の由来は定かでないが、特徴的なボディが線路を揺れながら走る様が「飛び立とうとする(着地する)雁」の姿に似ていたからと思われる。北米では1930年代にリオグランデ&サザン鉄道がビュイックの Master Six を郵便物運送用に改造したのが走りとされているが、マテランにはダッジのバスを改造した素晴らしい旅客用「ぐーす」タイプがあり、ひょっとするとRGSより製造時期が早いかもしれない。
しんしょうてつどう
宮沢賢治の詩に添えられた「心象スケッチ」mental sketch modified という言葉を元に、けむりプロがつくった概念。心のうちに形づくられた理想の鉄道の姿。その要素は、軌道や車両にとどまらず、歴史や風土、文化などを織り込んだ、心豊かな心象風景と物語によって構成される。心象鉄道そのものは、各人の精神の内にしか存在しないが、それを文章や写真、絵や図面などの二次元世界に表現することは可能であり、模型化されれば三次元空間に投影されたものと言える。
せんとあめじすとてつどう SAINT AMETHYST RAILWAY
けむりプロによる心象鉄道のプロトタイプ。「けむり」メンバー以外にはまったく内容が知られていない。アメジストまたはアメシスト(紫水晶)は古代エジプトより珍重されギリシャ神話にも登場する宝石。ブラジルのミナスジェライス州で大量に掘り出されるようになるまではルビー、サファイア、エメラルド並みの希少価値があった。
だーじりん Darjeeling
①インド西ベンガル州北部で生産される紅茶の名称。1841年に英国人医師アーサー・キャンベルが中国から盗み出した茶を植え、後に世界的に有名な産地となった。②英国人が保養地ダージリンとニュージャルパイグリの間に建設した2フィートゲージの鉄道 Darjeeling Himalayan Railway のこと。130年の歴史を持ち、多数のループ、スイッチバック(ZigZag)で有名。世界遺産に登録されている。
とうこうせんりろん
等高線に沿ってカーブした線路は、トンネルや橋で直線的に進む線路より美しいという主張。けむりプロの鉄道美学の柱の一つ。実例の観察には、国内にはもう適地が存在しないため、ダージリンのバタシア・ループ付近かマテラン登山鉄道が好適。
びんちどいす vinte e dois(葡)
ポルトガル語(ブラジル発音)で22の意。ブラジルに蒸機を探しに赴いたけむりプロの内田真一が、わずかな情報を頼りにたどり着いたサンジョアンデルレイの駅で最初に対面した2フィート6インチの4-4-0が、セントロオエステ鉄道(VFCO)の22号機であったことから、「SL」誌に掲載されたブラジルの記事に「ビンチドイスとその仲間たち」という通しタイトルがつけられた。ちなみに、SL誌の記事では、vinte(20)の綴りが間違ってvintiとなっている。
ぺてんしのこや
蒸気時代の木曽森林鉄道大鹿ヤードにあった建物に、けむりプロが付けた呼び名。屋根がスウェイバックしていて、吹き抜けであるところから、「ペテン師が作ったような」と形容された。同型の薪積み込み所が南軽の太郎沼ヤードにある。
ぺるす Perus
ブラジル、サンパウロ州にあった鉄道。当初はペルスとピラポラを結ぶ構想であったために鉄道の名称は ESTRADA DE FERRO PERUS PIRAPORA とされたが、線路はピラポラに達せず、主にカジャマーからの石灰石輸送のために使用された。軌間2フィートで延長は20数km。C.S.Small氏をして「機関車の宝石箱」と言わしめたほど車両がバラエティに富み、廃止後もかなりの機関車が残っている。現地NPOが最近ドコービールとアルコの機関車を動態復活させ、一帯の自然保護とあわせて「鉄道公園」を建設する計画が進められている。
ぺんけ Penke
①アイヌ語で「上」「川上の」などの意味。反対の「下」はパンケという。北海道各地に存在する。②三菱芦別専用鉄道の駅名。空知川の支流ペンケ(ホロナイ)川の盤の沢上流に位置する。山を越えた西側にはパンケホロナイ川がある。漢字表記は「辺渓」。
まてらん Matheran
ボンベイ近郊にある2フィートゲージの登山鉄道。20世紀初めにインド人の大富豪によって建設された。周辺は生態系保護のため自家用車立ち入り禁止となっており、DHRとならび、世界遺産に登録される気運がある。けむりプロの「インドの汽車-3」(鉄道ファンNo123)で初めて我国に紹介された頃はコッペルのCタンクが走っていたが、現在はディーゼル機関車のみを使用。
みそしるけいべん
日本的な軽便鉄道の意。TMS誌上で9mmナローの新しい展開を追求していた<87precinct>メンバーが命名したものと思われるが、語呂の良さと表現の明快さによりモデラーを中心に広く使用されている。沼尻鉄道、頚城鉄道、井笠鉄道などがその例。
人物編
けてる・まーかー KETTEL MARKER
SAINT AMETHYST RAILWAYの創始者らしき伝説の人物。生まれは地方の貧しいヤカン屋といわれる。キネ旬座談会の「けむり用語集」で以上がほのめかされた他は、けむりプロの作品には登場していない。スペルも Ketel と Kettel の両方が使われており、実像は謎に包まれたままである。けむりプロのステッカーには「創設者」として、この名前が書かれていた。
くらたたけし
くらたはんぞう
日本鉄道の技術者。最終経歴は仙台機関車組長。大正2年に南部軽便鉄道の設立に役員として参加。
じょー・まるせろ
ぜんさん
三菱芦別専用鉄道でアシュピットや給水塔などを担当していた前田老人のこと。「北のOld American」100ページを参照。
ふさきかんし 布佐機関士
キネ旬「蒸気機関車」69年冬の号に掲載されたけむりプロ「鉄道讃歌」に登場する人名。由来は宮沢賢治の詩「岩手軽便鉄道の七月(ジャズ)」に登場する「布佐機関手」。「心象鉄道」で蒸機を扱う仕事に就いているイデアルな存在。いわば「心象機関士」である。
みやざわせいいち
南部軽便鉄道の創始者。南部津川の地主であった啓之助の長男。北大農学部卒業後、県庁勤務を経て大正2年に南部軽便鉄道株式会社を設立した。
やなぎいっせい
南軽出版の社長。ながらく南部運輸の広報部門で仕事をしていたが、同社が大手運送会社との競争に苦しみ業態転換を図る中で、広報部門を独立させ軽便鉄道関連の書籍出版に乗り出した。
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