ストラクチャーの魅力
小坂の六角形の踏切り小屋(続報)
以前に話題にした小坂鉄道の踏切り小屋ですが、つい最近、その出自が判明しました。 前の記事では、「村のお堂か何か」という推測を述べたのですが、実はこれ、鉱山の守衛の詰所だったのです。
小坂町には往時の芝居小屋を保存していることで有名な「康楽館」や、小坂鉄道の車輌などを展示している「小坂鉄道レールパーク」があります。右上の写真は、「康楽館」とともに国の重要文化財に指定されている小坂鉱山事務所のすぐ近くにあるもので、正式名称は「門鑑詰所」というそうです。見比べてみると、細部にはいろいろ違いがあるものの、基本のデザインが同一であることは間違いない。
明治17年から小坂鉱山を経営した藤田組は、鉱山の周辺への出入りを厳重に管理していたようで、展示されている詰所の脇には、下のような説明書きが付けられています。おそらく、当時の鉱山では過酷な労働が日常化していたので、逃亡や争議を防いだり、よそ者の侵入を防ぐために、こうした守衛詰所が設けられたのだろうと思います。
上の踏み切り小屋写真では扉が見えていないのですが、保存されている詰所の扉部分をみると、窓の桟が凝ったデザインになっていることも分かります。窓も多く、ガラス板が決して安くは無かった時代の守衛詰所としては、かなり贅沢なつくりです。
明治期の交番や詰所には、煉瓦造りや石積みで円形や六角形のものもあったようですが、木造で六角形のものは、相当に珍しいでしょう。詰所が踏切り小屋に使わるようになった事情は不明です。鉱山の施設で不要になったものを移動してきた可能性が高いと思いますが、もしかすると小坂鉄道の開業時(明治41年)に、この地点に「門鑑詰所」が設けられたのかもしれません。また、このようなデザインの詰所が最初に考案されたのは、何時どこであるかも分かっていません。謎が一つ解明されると、新たな疑問が生まれてきます。