特別その他  

 

 薬缶と鉄瓶 


頸城鉄道飯室駅 1966年9月 撮影=梅村正明

石油とプロパンガスになる前の建物内の熱源は、たいていは木炭か石炭。ですから、昭和40年代半ばまで石炭の豊富な地域を除けば、薬缶や鉄瓶は七輪か火鉢に載っているのが普通でした。
 左の写真は、駅長室の土間に火鉢が作り付けになっている例。なかなか珍しい貴重な記録だと思います。いま火にかけてあるのは鉄瓶ですが、左隅には薬缶も写っています。薬缶の左には障子が見えていますが、その向こうは畳敷きの仮眠室で、本格的に煮炊きをするなら更に奥に台所があります。
 火鉢にも使用目的によっていろいろな形態があり、車内で使用していた例もあるのですが、それはまた後日。話を薬缶に戻しましょう。
 さて下の4枚。最初は廃線跡の線路脇。アルマイトは錆びにくいので屋外に放置してあってもこんな感じで目立ちます。薪や炭火で真っ黒になっているのが、2枚目と3枚目。2枚目は保線作業の工具と一緒に置いてあり、こんなものが線路脇にあれば、人影が見えなくても「近くで保線をしているんだな」と分かりますね。
 その右は森林鉄道の線路脇。集材作業に携わる人が休憩するための小屋。水道の脇で黒く焦げて蓋も見当たらない薬缶は、どこからか引いてきた水を溜めておくために使われています。

 湧き水や沢の水を細い管で導いている場合、水圧が低く水の出が良くないので、「さあ休憩」というときにチョロチョロとしか出ない。溜めた水を湯呑みに注げば、思い切りごくごく飲んでも大丈夫。つまり現場では、薬缶は大きな水筒代わりに使われていたのです。
 右端は除雪作業に使われている客車内。床に据えた石油ストーブは作業中もつけっ放しで、お湯はぐらぐら沸騰。お昼休みには寒い戸外から客車に戻って暖をとり、暑いお茶を飲みながら弁当を食べるのです。

左から 木曽ウグイ川線廃線跡(2007年)、小海線清里付近・木曽森林鉄道白川線・同ウグイ川線除雪列車(3枚とも1974年) 撮影=かねた一郎

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