人間と鉄道
1969年ダージリンで走っていたクルマ
ダージリン・ヒマラヤン鉄道は、古くからある「ヒル・カート・ロード」と呼ばれる道路に沿って建設された歴史があり、 路線の大半が自動車道路と並走しているという特徴があります。当然、こんな光景が見られることもしばしば。
左の機関車799号は1925年シャープ・スチュアート製で、この時点で製造後44年を経ていました。右はブリティッシュ・レイランド社が1948年から 製造を始めたランド・ローヴァーの初期のモデル。第二次大戦中に活躍した軍用ジープをお手本にしてつくられた4輪駆動車ですが、 荷台の広告をみると日用品の輸送をしているようです。この勝負、もちろんクルマの圧勝で、列車が撮影地点に近づいたときには、とっくに 抜き去られていました。p>
1947年に英国から独立したインドでは、この時代には旧宗主国である英国製の自動車が多く使われていました。特に、登攀力に優れた
ランド・ローヴァーや、オースチンなどが、けむりプロの撮った写真にも
しばしば登場しています。
左の写真で、トラックの後ろを走り列車とすれ違っているのは、かつてインドの「国民車」と言われた
ヒンドスタン・モーターズ社製アンバサダーですが、これも「ミニ」で有名な英モーリス社から生産設備を譲り受けた
オクスフォードというクルマのコピー。
『ダージリン・ヒマラヤン鉄道&マテラン登山鉄道』 38-39p見開き写真で道路に停めてあるのは、
けむりプロの杉行夫が撮影のために借りたアンバサダーです。
なおインドは英国と同様、左側通行で、普通は右ハンドルです。
この時代、トラックも輸入品が多かったようで、下の写真に写っているのはシヴォレーのトラック。米国製ですが、右ハンドル車なのは 輸出仕様なのか、あるいは現地メーカーが輸入部品を組み立てたノックダウン製品なのかもしれません。このほか、ベンツのマークの付いたトラックも走っているところを見ました。
現在のインドでは、英国による支配の名残りを感じさせるアンバサダーは
人気が無くなり、2014年に製造が中止されています。外国製ではスズキが多数派。
バス・トラックの分野では、世界第5位と言われるタタ・モーターズが国内の6割を占め、どこに行っても、タタのバスとトラックだらけ。
古い英米のクルマはめったに見ることができないようです。それどころか、ランドローヴァーとジャガーは
買収によりタタ社のブランドになっており、マヒンドラ社はジープのライセンス生産もしています。