ストラクチャーの魅力

   

浦川原のターンテーブル

新潟の田園地帯を走る頸城鉄道の終点、浦川原の駅舎は軽便鉄道としてはかなり立派なつくりでした。 開業時からこのような姿だったわけではなく、戦後の昭和32年に建てられたものだそうです。

浦川原駅の終端部分 右の建物が駅舎の東の端 DC92が機回し中。1968年9月 3枚とも撮影=夢遊仙人

 大きな駅舎があるのは、ここが頸城野の東、信濃川沿いの十日町盆地に向かう国道253号の途中にあり、バスターミナルになっていたからです。 この鉄道が開通した10年ほど後には、国鉄飯山線が開通して乗客も貨物も減ったようですが、戦後に駅舎を新築しているということは、東に向かうバスの乗客もまだかなり居たのでしょう。 駅前の道路は、駅の先でちょっと左へ折れ、線路の終端をかすめるようにして村の中心部へ向かっています。
 構内のはずれ、ポイントを過ぎた少し先に小さなターンテーブルがあり、国道253号にぶつかる所にコンクリートの車止めと木の柵があります。 線路際には民家が並んでおり、道路の向こうには保倉川が流れています。

 近寄ってみると、ピットには雨がたまり、周囲は夏草が生い茂っていますが、鋼製の桁を持つしっかりしたつくりになっています。 ただ、桁幅が狭くほとんど線路の幅(762mm)しかないというのが、いかにも軽便らしい。寸法が分からないのですが、長さは機関車のホイールベースぎりぎりかもしれません。
 頸城鉄道では、冬の降雪時にターンテーブルを使えるようにするため、ピットに雪が入るのを防ぐ「風呂の蓋」 のような板が使われていましたが、冬以外は操作のじゃまになるので外していたようです。 いちばん上の写真の右奥、ブロック塀の先にトタン張りの小屋があるのですが、そこに立てかけてあるのが別の写真でわかります。
 この写真が撮られた数日後、新黒井~百間町間と浦川原~飯室間は廃止され、小さなターンテーブルは飯室駅の終端に移設されて1971年春の全線廃止時まで使われました。 浦川原駅の最後の夏に、すぐ横にある家の2階の窓からはどんな光景が見られたのでしょう。軽便鉄道好きとしては、線路脇の家の住人が羨ましく思えます。

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