ストラクチャーの魅力
浦川原のターンテーブル
新潟の田園地帯を走る頸城鉄道の終点、浦川原の駅舎は軽便鉄道としてはかなり立派なつくりでした。 開業時からこのような姿だったわけではなく、戦後の昭和32年に建てられたものだそうです。
大きな駅舎があるのは、ここが頸城野の東、信濃川沿いの十日町盆地に向かう国道253号の途中にあり、バスターミナルになっていたからです。
この鉄道が開通した10年ほど後には、国鉄飯山線が開通して乗客も貨物も減ったようですが、戦後に駅舎を新築しているということは、東に向かうバスの乗客もまだかなり居たのでしょう。
駅前の道路は、駅の先でちょっと左へ折れ、線路の終端をかすめるようにして村の中心部へ向かっています。
構内のはずれ、ポイントを過ぎた少し先に小さなターンテーブルがあり、国道253号にぶつかる所にコンクリートの車止めと木の柵があります。
線路際には民家が並んでおり、道路の向こうには保倉川が流れています。
近寄ってみると、ピットには雨がたまり、周囲は夏草が生い茂っていますが、鋼製の桁を持つしっかりしたつくりになっています。
ただ、桁幅が狭くほとんど線路の幅(762mm)しかないというのが、いかにも軽便らしい。寸法が分からないのですが、長さは機関車のホイールベースぎりぎりかもしれません。
頸城鉄道では、冬の降雪時にターンテーブルを使えるようにするため、ピットに雪が入るのを防ぐ「風呂の蓋」
のような板が使われていましたが、冬以外は操作のじゃまになるので外していたようです。
いちばん上の写真の右奥、ブロック塀の先にトタン張りの小屋があるのですが、そこに立てかけてあるのが別の写真でわかります。
この写真が撮られた数日後、新黒井~百間町間と浦川原~飯室間は廃止され、小さなターンテーブルは飯室駅の終端に移設されて1971年春の全線廃止時まで使われました。
浦川原駅の最後の夏に、すぐ横にある家の2階の窓からはどんな光景が見られたのでしょう。軽便鉄道好きとしては、線路脇の家の住人が羨ましく思えます。