ストラクチャーの魅力

      

祝田(ほうだ)駅の風情

 遠州鉄道奥山線 浜松方面からの列車が三方原の台地を下り、祝田駅手前のカーブを曲がってまもなく到着する 1962年12月 撮影=柳一世

 トップページ「南軽~心象鉄道への誘い」に掲載している写真、通称「ぽんぽこ狸」は、今から55年前に遠州鉄道奥山線の小さな駅で撮影されたもので、「軽便讃歌」1号の表紙を飾ったことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。その1カット前、列車が駅に近づいてくるときにシャッターを切ったのがこの写真。今回は、この駅について語ってみたいと思います。
 夕暮れの空と稜線、枝振りの立派な古木、小さな待合室があるだけのホーム、駅のそばには商店が数軒。なんとも言えず風情のあるシーンですが、それだけではありません。実は背景に見えている山は、戦国時代の有名な戦いの舞台となった場所なのです。
 武田信玄に徳川家康が敗北を喫した「三方原の戦い」は、先日最終回を迎えた『おんな城主 直虎』でも描かれていましたが、家康は織田の援軍が到着したのでやむなく戦う羽目になったという設定となっていました。一説によれば、武田勢を背後から追撃すれば勝機ありと判断したとも伝えられています。その背後から攻めるつもりだったという地点が、この背景にある山から降りてくる途中の「祝田の坂」。
 三方原の北端、都田口(みやこだぐち)から谷駅を経て祝田の手前まで奥山線は丘陵地帯を進み、坂を下って大きなカーブを切り、この駅に入ってきます。飯島巌さんが、山から祝田方面を見おろしたすばらしい写真を撮影されており、『追憶の遠州鉄道奥山線』(RMライブラリー10)に掲載されていますので、ぜひご覧ください。遠州鉄道がYoutubeで公開している『懐かしの奥山線』でも、10:50から13:00あたりまで当時の都田口~祝田の沿線風景を見ることができます。

 祝田を出て数百mで線路は浜名湖に注ぐ都田川の橋を渡り、ひろびろした田圃を抜けて国鉄二俣線の金指駅に至ります。上の写真では手前に、右写真では駅のすぐ先に線路を横切る砂利道が見えますが、これは国道257号線。今では拡幅・舗装された国道の周囲に家が立ち並び、こんな鄙びた情景であったことは想像もつかなくなっています。

 奥山線には「銭取」「小豆餅」というおもしろい名前の駅がありますが、これも家康にちなむ伝説があるところ。金指を過ぎ、気賀口の次は「井伊谷」(いいのや)という駅でしたが、そのあたりがドラマで直虎が活躍していた井伊谷城のあったところです。

祝田駅を上写真と反対側から見たところ 奥が金指・気賀口方面 1962年12月 撮影=竹中泰彦

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