車輌のおもしろさ

       

下津井のデッキ付き電車


 栃尾線モハ209と張り合える?西の横綱が下津井のモハ50です。


 琴海~鷲羽山を行くモハ54。ドアを開けたまま車掌さんが前方を注視している。塗り分けは上がクリーム、下が茶色。1962年 撮影=柳一世

 この電車は、元々は戦前に大阪の加藤車輌というメーカーで作られた気動車(ガソリンカー)です。下津井軽便鉄道が戦後になって電化され下津井電鉄となった際に、6輌のガソリンカーは車体はそのままで電車に改造され、モハ50~55となりました。前後の荷台(鮮魚台)は、ガソリンカー時代からのものです。
 蒸気機関車を廃止した後に電気機関車を導入しなかったこの鉄道では、客車や貨車も電車が牽引することになりました。ところが、電車には簡易自動連結器を付けたのですが、客車や貨車はバッファーとピン・リンク式の連結器のままで、電車に客貨車を牽かせるため2種類の連結器を装備するという、たいへん珍しい対処をしたのです。そのため、荷台の下には大きなバッファーが2つ、その間には、上に自動連結器、下にリンクが下がっており、非常に重厚な面構えになっています。

 また、乗務員室扉は外開きになっており、右の写真のように、これを開いた姿はいっそう「頭が重たい」印象を与えています。こんなに開いていて、車輌限界は大丈夫でしょうか。
 6輌のうち、モハ53はたびたび事故を起こしたため縁起を担いだのでしょう、モハ65という番号に変えられましたが、60年代後半まで活躍していました。モハ50、51、54の3輌は60年代前半に荷台部分も客室とする改造をされ、箱型車体になりましたが、モハ65を含む残る3輌は60年代末まで、この姿で活躍していました。
 路線を短縮した後は、荷台つきのものは制御車(やはり元ガソリンカーのクハ6)1輌だけとなり、これは保存されています。

下津井駅で小荷物の積み降ろしをしているモハ65。1962年 撮影=柳一世 

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