車両のおもしろさ

    

奥山線の客車その2

 遠州鉄道奥山線の客車の中では、妻板が丸くカーブしている木造客車が特に目を引きます。末期に残っていたこれらの「丸妻客車」は、WEB上で「地方私鉄 1960年代の回想」の模型資料ページに当時の全車が紹介されていますので、当サイトでは違う角度の画像をとりあげましょう。

左上=ハ1154 左下=サハ1102 ハンドブレーキの軸を固定するため妻面の窓が左の1枚だけ小さくなっている 右=サハ1112 3枚とも1961年7月 撮影=柳一世 

 奥山線は、大正3年に浜松軽便鉄道として元城から金指まで開業しました。その時に購入したのがサハ1108と1109(大日本軌道製)、ハ1154(名古屋電車製作所製)。浜松から奥山まで開通した時に買ったのがサハ1101、1102と1112(雨宮製作所製)、サハ1110(日本車輌製)です。全線開通までの9年の間に、大日本軌道という会社は鉄道経営から手を引いて車輌メーカーになり、雨宮製作所という名になっていました。
 末期に使われていた客車のうち、戦後に他の鉄道から来たサハ1003、1004(前回に紹介)とサハ1006(元赤穂鉄道)の3両を除く、浜松軽便鉄道時代からの7輌が、カーブした妻板を持つ客車でした。竣工図では、これら7輌は「丸妻」でデッキは密閉型、柴田式自動連結器と空気制動を備えていたとされていますが、戦前の写真では蒸気機関車の連結器が「アサガオ型」ですので、自動連結器とブレーキ管は後に取り付けたものだと思います。浜松は戦時中かなり激しい空襲を受けており、この鉄道には焼失した客車が何輌かあるようなので、この竣工図(下の画像)もオリジナルではなく、戦後になって現物に合わせて描き起こしたものではないでしょうか。

  サハ1108の竣工図 もとはハ1、さらにハ1151という番号を経てサハ1008になった 1961年7月 撮影=柳一世 

 全線が開通した頃にハ19とハ21という2輌の客車(雨宮製)が、沼尻鉄道(当時は耶麻軌道)に譲渡されボハ6と7になっています。そのことから、元々の客車は20輌ほどあったと思われますが、末期まで残っていた10輌と譲渡した2輌以外については、どんな客車であったのか分かりません。沼尻側の竣工図では、モニタールーフ、オープンデッキで貫通扉の無い妻板を持っていたとされています。この2輌が雨宮でつくられて僅か2年後に耶麻軌道に移っている点も、少々謎めいています。
 想像をたくましくすれば、浜松軽便~奥山線のエンジニアか、あるいは会社の偉い人が、オープンデッキより妻のカーブした密閉型車体が好みだった、ということなのかもしれません。

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