編成や運行のおもしろさ
丸山の単端でもこれだけ牽けるんです(九十九里鉄道)
九十九里鉄道といえばこの車両です。丸い屋根に四角の車体。3枚並んだ正面の窓。その下に突き出たエンジンカバー。大正15年に丸山車両という会社がつくって、この鉄道が買って以来、36年にわたって、こんな愉快な車両が走り続けていました。
昨年の「軽便鉄道模型祭」プレイベントに参加された方は、湯口徹さんの「単端式レールバスものがたり」の名調子をお楽しみいただいたことでしょうが、湯口さんの調査によると、この会社は丸山惣治という大工さんが興した会社で、木造の車体にT型フォードのエンジンを積み、2軸の車輪の後ろの方をウォームギヤで駆動するという「丸山式自動客車」を開発し、全国各地の鉄道に売り込んだのだそうです。軽便鉄道の愛好家には「単端」という呼び名で知られていますが、バックができず一方向にしか走れない車両のことで、終点の駅では、転車台で向きを変えなければいけません。
九十九里鉄道では、女性の車掌さんが、この単端の向きを変える仕事をしていることでも有名でした。そんなものが、1962年まで動いていたということ自体、奇跡的に思えてきます。T型フォードエンジンは20馬力程度しかなく、力不足のため後にはA型に交換されたものが多いようですが、九十九里のキハはフォードV8に変えられました。110馬力もあるので、最初の5倍以上の力持ちになったわけです。
この単端が走る姿は、かなり多くの鉄道ファンが撮影されていますが、これまで見た写真のほとんどは、客車2両か3両、または客車2両に貨車1両という編成のようです。上の写真では、前後に長いボギー貨車を連結しているところが、珍しいですね。
右は国鉄との連絡駅・東金の構内で、小さな小屋の前にはガソリンを入れる計量器があります。彼方に見えている国鉄のタンク車とくらべると、この鉄道の車両の小ささが良く分かります。
九十九里鉄道の車両は、廃止後に遊園地で使う構想があったため東金の構内においてありましたが、10年ほど放置されている間に、すっかりぼろぼろに朽ちてしまいました。もし、単端が1両でも保存されていれば、今頃は「近代化遺産」として注目を浴びたことでしょう。