編成や運行のおもしろさ

  

お客も貨物もまだ多い  冬の沼尻

沼尻
沼尻駅構内 1967年2月 撮影=梅村正明

 上の写真は廃止の前年、1967年の2月11日。「建国記念の日」が祝日に定められて初めての年の、沼尻駅のようすです。RMライブラリー114で、「スキー客輸送」として2ページが割かれていますが、予想外につめかけたお客をさばくため、列車の最後尾にガソまで連結されて走った日でした。スキーを担いだ乗客がみな降りて、ようやく列車の全体が見えるようになったところ。手前が列車の最後尾で、はるか彼方にDC12が停まっています。2011年の「軽便鉄道模型祭」のイベントで公開されたものの、紙媒体では未公表の写真です。

 途中駅の写真を見ると、待合室では地元の人たちがおおぜい列車を待っているようです。左は会津下館ですが、このあたりは、線路とつかず離れず道路があるのです。おそらく、この頃は自家用車を持つ家も、まだ多くなかったのでしょう。まして、舗装していない、除雪自動車も十分にない地域では、冬には鉄道の方がずっと頼りになる交通手段でした。
 子どもたちも利用します。小学校へは歩いて通えるものの、中学や高校になると、隣の村や町まで行かねばならないことが多くあります。バスが雪で動けなくなるようでは、通学の足としては使えません。
 ですから、降雪地の軽便鉄道は、並行する道路が整備されてバスが走るようになるまで、どこでもそれなり数の乗客を運んでいました。

 運んでいたのは人間だけではありません。下は会津樋ノ口での交換風景ですが、貨車に積んである円筒形のものは、沼尻鉱山から運び出される硫黄です。1960年代前半まで、工業原料として重要な硫黄は、国内の鉱山から供給されていました。ちょうどこの時期、石油精製の過程で硫黄分を分離して硫酸を採ることが可能になり、硫黄の需要が激減したことも、沼尻鉄道にとっては大きな打撃となったわけです。

(上)会津下館に到着する列車 (下)会津樋ノ口で混合列車同士が交換する 撮影=梅村正明

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