人間と鉄道

静岡鉄道駿遠線 冬の相良駅

相良に到着
2枚とも1962年12月 撮影=柳一世

 軽便鉄道最長の路線を持っていた静岡鉄道駿遠線は、1964年に中央部が廃止され、車両も東の藤枝側と西の袋井側に分けられてしまいました。 以前は、藤枝~袋井間60キロを走る列車もあり、混合列車もあったようですが、この部分廃止の少し前に古いディーゼル機関車は西に集められ、東側はディーゼルカーと、後に投入される新鋭のB-Bディーゼル機関車が主に担当するようになっています。この写真は、1962年冬に撮られたもので、まだ東の藤枝側で古い機関車が活躍していた頃の相良の駅です。

 凸型の機関車が、2両の不ぞろいな客車を牽いて藤枝から到着。冬の日差しの中を、厚着をした和服のお婆さん方が改札口に向かっています。ここは、小さいながらも城下町で、漁港もあり、けっこう乗降客も多いのです。
 貨物側線には木造客車が3両ほど停まっています。これは朝夕の通勤列車に増結するために、この駅に置いてあるようです。手前に見えている荷物は、これから折り返す列車に積み込むのでしょうか。

 お客さんが降りてしまうと、入換えをして機関車を反対側に付けかえます。客車は新しいハ108と、三重交通からやってきた木造のハ25です。反対側のホームには、キハD6が停まっていますが、「藤枝行」の表示がされているところをみると、区間運転用なのでしょう。

給油
この機関車はボールドウィンのCサドルタンク(龍ヶ崎にいたものと同型)の部品を流用してつくられたものらしい。赤穂鉄道を経由してやってきたが、そのときはC型だったという。動輪に扇型のバランスウエィトがついているところは、70年近く前につくられたときのままのようだ。

 「機回し」をした機関車には、線路脇のスタンドから給油をします。給油口がボンネット上にあるのに、そこへ登るためのステップや手すりがありません。給油のたびに、運転席の窓から身を乗り出し、ホースを手で支えなければならないところが、なんとも軽便風です。

 鉄道ファンに「蒙古の戦車」と称された凸型の機関車は、全部で9台あったのですが、自社工場の職人さんの手作りで、一台ずつ格好が違います。現場では、折り返しのたびに転向しなければならないので「イノシシ機関車」と呼ばれたということですが、このDB606は逆転機が付いていたのか、「機回し」後も転向せずに連結されていますね。

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