人間と鉄道
電車とタブレット 近鉄八王子線
若い人は「タブレット」というと、違うものを想像するでしょうね。単線の鉄道では衝突事故を防ぐために一区間に複数の列車を入れない「閉塞」ということが非常に重要な概念で、昔はタブレットやスタフなどの標識を持たないと次の区間に入れませんでした。写真で、駅長さんが運転士に渡しているわっかの下端にある小さなポケットに、通行許可を与えるタブレット本体が入っています。
軽便鉄道では、早くにCTC(列車中央制御)化をした栃尾線をのぞき、ほとんどの路線がタブレットかスタフによる閉塞方式でした。
この写真の近鉄内部・八王子線は、今では「四日市あすなろう鉄道」として現代的な設備を整えて営業を続けていますが、1965年に近鉄傘下になった後も、かなり長期にわたってタブレットを使用していました。1970年代後半になると、ナローゲージで一般の客を乗せ営業している鉄道は下津井と近鉄の3路線、そして観光鉄道として営業を始めた黒部峡谷鉄道しか存在していませんでしたが、下津井は路線短縮で全線を一閉塞区間としたため、タブレット交換が見られる電車は、近鉄が最後になったのです。
この日永駅は内部線と八王子線の分岐点でもあり、かつてはほとんどの列車が対向列車と交換していたため、駅長さんがタブレットの受け渡しをしていました。この時代は、構内に手動で操作するポイントが一箇所あったので、改札係と転轍手が仕事をしていると、ホームに出てタブレットの受け渡しをするのは駅長さんしか居なかったのではないかと思います。
こんな長閑な田舎電車だった内部・八王子線も、昭和から平成になる頃にCTCを導入して中央制御室で全列車の運行を管理し、すべての電車がATS(赤信号で自動停止をする装置)を備えるようになりました。今でもナローの電車が走りつづけているのは楽しいことですが、その代わりコスト削減のため自動化は避けられません。至るところに人間の関与がある「軽便らしい」姿は、大勢の人手によって鉄道が運営されていた時代のものなのでしょう。