stay home week special 3

「注目のサイト・動画・資料」特別版として、YouTubeにあるおもしろい動画をご紹介。ひまつぶしにご覧ください。期間限定ページ、 続編も予定

線路工夫の仕事歌

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「ギャンディ・ダンサー」というのは北米での工夫の呼び名で、英国の<navvy>と同じ意味です。 caller(音頭取り)が最初に歌い、呼応する掛け声で呼吸を合わせて力仕事をしていた様子が分かりますね。 これは1920年代の記録ですが、機械化が進んでも保線作業を歌いながらやる習慣は続いていたようで、 YouTube には1970年代の映像や、近年になって退職した労働者に取材したものなどが見つかります。
 ジョニー・キャッシュがジョン・ヘンリー(下記参照)を歌ったこの動画でも レールの敷設や交換のときの caller の役割を説明しています。コール&レスポンスと呼ばれる応答のある仕事歌は、奴隷制時代の南部の農場や、 囚人労働の場などでも歌われ、教会でのリーダーと聴衆の関係と同様、現代につながるアフリカ系アメリカ人の文化の重要な土台となっています。

線路端で生まれた歌


アパラチア山脈の南部では、鉄道建設の現場で多数を占めていたアフリカ系アメリカ人と、現金収入を求めて働きに出たアイルランド・スコットランド系の 人々が出会い、後者の愛好する物語歌(バラッド)の形式が前者に取り入れられたのではないかと考えられています。そこで たくさんの歌が生まれて歌い継がれ、またヒルビリーと呼ばれた山地の住民や、鉄道労働者の中からも、多くの優れた歌い手たちが現れました。

Waitin' for a Train ジミー・ロジャース

鉄道で働いた彼は「歌うブレーキマン」と称された。1933年に35歳で亡くなったので動画は非常に貴重。

Freight Train エリザベス・コットン

1893年ノース・キャロライナ生まれの彼女が12歳の時につくった歌。これは70代後半の動画か?

Casey Jones ミシシッピ・ジョン・ハート

遅れを取り戻そうと疾走して事故死した機関士ケイシー・ジョーンズの物語。ジョン・ハートは1920年代後半にレコーディングの機会を 得たが、売れずにずっと小作人をしていた。1963年に「再発見」されニューポートフォークフェスティバルに出た時の動画。

蒸気ドリルと競争したジョン・ヘンリー


1870年代初め、チェサピーク&オハイオ鉄道がアパラチア山脈を越えるトンネル工事で、蒸気ドリルよりも速く貫通させた直後に ハンマーを持ったまま息絶えたという伝説の男。下は子ども向けのアニメと歌。

最近つくられアニメ(13分)。本邦とはタッチの違う美しさがあります。 1974年にテレビで放映されたらしきアニメ(11分)。当時「やさしく歌って」が 大ヒット中だったロバータ・フラックの語りと歌。テープが延びているらしくピッチが不安定なのが惜しい。
これ(4分)は小学生にジョン・ヘンリーについて教えるための指導用ビデオらしい。 こうして現代の子どもたちも「ギャンディー・ダンサー」を学んでいる。

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